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地域と産業とデザインの関わり方

Font College Open Campusフォントカレッジオープンキャンパスは、フォントや文字に関わらず、デザインやブランディングなどをテーマに、さまざまなジャンルのゲストをお迎えしながら定期的に開催している公開講座です。今回の講師は、東海地方で活躍されている株式会社RWアールダブリュー代表取締役/株式会社菰野こものデザイン研究所取締役稲波伸行いなばのぶゆき氏。「地域と産業とデザインの関わり方」と題して、産業を未来に繋げるためにデザイナーが取り組むべき「広義のデザイン」について学んでいきます。

株式会社RW 代表取締役/株式会社菰野デザイン研究所 取締役
稲波伸行 氏 



第1部 〜今もなお斬新に映る書体の60年間〜  デザイン書体『タイポス』誕生秘話

第1部のモリサワパートではデザイン書体「タイポス」について、歴史を振り返りました。※noteの記事からの引用のため、こちらをご覧ください。


第2部 地域と産業とデザインの関わり方

稲波氏は現在、名古屋市内にて株式会社RWというデザイン会社と、自身の地元である三重県菰野町にて、株式会社菰野デザイン研究所の運営に関わっています。これまでには地域に根ざしたNPO法人の立ち上げ、流通業など多くの事業に携わり、「世界を1ミリでも良くしたい」という想いのもと、様々な角度からデザインを見つめています。

株式会社RWは「社会のデザイン力を上げる」をミッションに掲げています。業務としてはグラフィックやプロダクトといったデザイン全般、新規事業の立ち上げ、ブランディングの他に、クライアントがデザインへのリテラシーを高めるためのデザインコモン、デザインリテラシーコモンなどにも携わっています。

稲波氏は、日頃から愛知と三重を中心に東海地方を巡りながら、「地場産業」の素晴らしさを日々感じているのだとか。地場産業とは、いわゆるその土地の文化文脈を受け継ぎ、産業として経済効果をもたらすものです。地場産業を未来に繋げ、その土地の文化を残していくために、デザインの必要性を強く感じているそうです。それを受けてRWでは近年、デザインを軸とした学びのコミュニティとして、「イナバデザインスクール」を月に2回無料で開催。デザイナーだけでなく、社会全体がデザインを操れるようになるために、「デザインの使い方」を伝える活動をしています。
今回は、その辺りのお話も踏まえながら、稲波氏が手がけた近年の事例を見てみましょう。

近年の事例から見る「地域とブランディング」

まずは株式会社百福ももふくの「のりもも」というブランドです。百福は製菓メーカーなどをクライアントに持つ海苔の加工メーカーですが、海洋環境や消費者ニーズの変化に伴う国産海苔の減少という苦境に直面する中で、「百年先にのりをつなげる。」をミッションに掲げ、B to C事業として「のりもも」を立ち上げました。
稲波氏は、ブランドコンセプトの立案からパッケージデザインに至るまでを担当。見た目のデザインだけでなく、ミッション、ビジョンの策定といった見えない部分のデザインにも力を入れました。

続いては、名古屋の伝統工芸である名古屋仏壇の職人とタッグを組んだテアワセ teawaseというプロジェクト。名古屋仏壇は名古屋城の築城に携わった職人たちが生み出した、金や漆の絢爛豪華な装飾が特徴ですが、時代と共にその需要は低迷しつつあります。そこで、仏壇職人の伝統技術を他用途に転用し、新たな需要を開拓することを目的としたプロジェクトを立ち上げました。
職人たちの技術と金額が一目でわかる見本帳を足がかりにさまざまなジャンルへ伝統技術を提案。現在では、店舗の内装やラグジュアリーブランドへの起用など、これまでになかったニーズを発掘しています。

その他にも、スポーツチームのブランディング、企業の採用Webページの制作、自動車産業の新規事業立ち上げやそれに伴う人材育成プロジェクト、行政のデザインアドバイザーなど、多くのプロジェクトに多角的に携わってきた稲波氏。
これまでの経歴を踏まえた今回のテーマは「事業にデザイナーを伴走させる価値を伝えたい」です。
「とにかくデザインの素晴らしさを伝えたいと思っています。見えるものをデザインするのはもちろんですが、変化の激しい世の中で、見えるものをデザインするだけでは到達できないこともあると実感しています。『見えるもの』という狭義のデザインではなく、『目に見えない』広義のデザインを使いこなすことの大切さをお伝えしていこうと思っています」

デザイナーが伴走するってどういうこと? 山口陶器のケース

「デザインとは、目にみえるものを作ることだけじゃないんです。実際に、プロジェクトの依頼をいただくときに、コンセプトや方向性がある程度進んだ状態で一番最後の “かたちを作る段階” でのお声がけをいただくことが多いんですが、我々としてはもっと上流の部分の “何かをやろうとしている段階” から携わらせてもらった方が、力になれると思っています」

三重県菰野町にある山口陶器というメーカーがあります。菰野町は三重県北勢部、名古屋から車で1時間程度ほどに位置しており、そこから発信する自社ブランドとして「かもしか道具店」というブランドを2014年に立ち上げました。「たのしく、しっかりとした生活文化を発信し、食卓を通じ幸せを届ける」をコンセプトにし、お米専用の鍋や食器、やかんなど、生活の道具としてのアイテムを作っています。
現在はオンラインショップも展開していますが、実店舗は菰野町の田んぼの中にあります。これは代表である山口氏の強い想いによるもので、あえて都市部で展開することはせずに菰野町から発信するという仕掛けづくりとなっています。


このブランドが誕生した経緯を辿ってみましょう。

山口陶器は2013年当時、下請け率100%で利益がほぼゼロという状態でした。元々同郷ということで学生時代から付き合いのあった稲波氏が代表の山口氏の元を訪ねた際、「このままでは産地が残らん。工場のキャパは目一杯だし、これ以上生産量を上げられないが、利益が残らない。この状況では、自分たちのブランドを作るしか道がないと思っている」と。これが全ての始まりとなりました。

菰野町は、萬古焼ばんこやきという焼き物の産地です。1985年のプラザ合意[※]以降、産業は急激に衰退し、現在の工業組合・商業組合の軒数は昭和55年当時と比べ7〜8割減に落ち込んだままという現状があります。

[※] プラザ合意…1985年9月22日に米国ニューヨークのプラザホテルで開かれ、G5の大蔵大臣(米国は財務長官)と中央銀行総裁が合意した為替レートの安定化策のこと。主な合意内容は、各国の外国為替市場の協調介入によりドル高を是正しアメリカの貿易赤字を削減することでしたが、輸出企業(自動車・電気製品等)の海外進出が進み、産業の空洞化が叫ばれ、バブルを招来するなど、日本の産業全体の構図が大きく変化した。


こうした事象は萬古焼だけでなく、国内全体の地場産業でも深刻な問題となっており、稲波氏はこうした地場産業をデザインの力で支える方法を探っています。

クリエイティブの種は相手の中にあるんです。解決の糸口を見つけるために、相手のもつ世界の輪郭に質問を投げかけ、その世界をつまびらかにしていくんです」と稲波氏。山口氏の元を何度も訪れ、どうしたいのか、どこまで・何を目指すのか、もっとも重要なフェーズは何か……山口氏の心の奥底にある思いを紐解きながらブランドの方向性を丁寧に定めていきました。話を深めていく内にようやく見えてきたミッションが「産地を残す」というものでした。

この時、ちょうどいいタイミングで中川政七商店が企画する「大日本市」という展示会への出展のお誘いが届きます。出展に向けて、いよいよブランドの見せ方をデザインするフェーズへ突入です。ブランドロゴを作るにあたり、まず重要視したのは、山口氏の「産地ブランドにしたい」という思いでした。産地ブランドとは、つまり自社だけのブランドだけでなく、いろんな会社の製品も取り扱えるように、その土地を代表するようなブランドにしたいという思いが込められています。急須や鍋などといった暮らしの道具を作ってきた萬古焼の歴史、そして、菰野町の町獣であるニホンカモシカと、登山が盛んな鈴鹿セブンマウンテンのアイコンを配置し「かもしか道具店」のブランドロゴが完成しました。

ブランドロゴもコンセプトも決まり、無事に出展を迎えたかもしか道具店でしたが、当時展示した商品は1アイテムのサイズ展開3種類のみでした。小さくても確実な第一歩を踏み出した山口陶器は、その後年間10%ずつ自社ブランド比率が向上。3年後の2017年には黒字化、直小売卸をスタートし、7年後の2021年には利益率10%、工場稼働率も80%、下請け比率は0%という大成長を遂げるに至ります。稲波氏がこのプロジェクトで手がけたものは、ブランドロゴやWebに留まらないと言うことは明白です。プロジェクトの根幹であり大部分を占めるのは、コンセプトの立案やブランドの方向性に向けての話し合いでした。

山口陶器、次のステップへ 地域と産業を結ぶデザインの力

ブランドの認知が広まってきた頃、山口氏の元へ、菰野町長から「マルシェをやってほしい」という依頼が舞い込んできました。そこで稲波氏は、一過性のマルシェだけにとどまらない、「こもガク」という街づくりプロジェクトを立ち上げました。
このプロジェクトは「こものをまなぶ場」をつくることを目的とし、菰野の内外の人が、菰野で今起きていることを学び、その土地に住む人自身の声で発信しながらいろいろな企画を進めていくものです。
しかし、これはあくまで表向きの目的の一つ。その根底には、かもしか道具店を作った当時から抱いていた「産地の外の人に来てほしい、都市部などの消費地ではなく、産地でモノを買ってもらいたい」という思いが込められています。こうして、エリアブランディングの一環として企画を練っていくことになりました。

2017年にスタートしたこもガクは、菰野町の企業の魅力を知る体験型マルシェの他に、菰野町のものづくりに触れるオープンファクトリーや勉強会など年間を通じて様々な企画を運営しています。こもガクを通じて地域全体が互いの理解を深めていくことで、次なる担い手との橋渡しとなるような展開を生み、地域の中にも好循環が生まれていきました。
また、菰野町の外の人に魅力が伝わっていったことで、県外からの来訪者や企画に携わる人も増えていき、近年では東京都渋谷区でのイベント出展を行うなど、その輪はどんどん広がっています。

かもしか道具店やこもガクを通じて、自身がデザインを取り入れてきた経験と、身の回りの確かな変化を感じた山口氏は、新たに菰野にデザイン事務所をつくることを決意。地域の人にももっとデザインの力を感じてもらいたいということで「こものデザイン研究所(会社名:株式会社菰野デザイン研究所)」を立ち上げました。「愛でマチをかえる。」をミッションとし、デザインの必要性を感じていない人にも“ちょっとしたおせっかい”をするように、デザインの力によって町をよくしていくことを考えている会社です。

「産地は残らん!村長になりたい」山口陶器のチャレンジは続く

かもしか道具店の立ち上げ以降、多くのチャレンジを続ける中で、稲波氏は山口氏の「産地を残すことは難しい」という実感と、一方で「仕事と街づくりを一貫して行なっていきたい」という二つの思いと対峙します。

ある時、突然「村長になりたい」と言い放った山口氏。言葉の真意をじっくり聞き出していくと、その内容は、農業・食品加工・レストランの一貫したプロデュースや、筋のよい教育や産業の創出、温泉や宿泊施設といった観光業……といったかなり具体的なものだったと言います。
根底にあるのは「地場産業がこの地にある、新しい意味を作りたい」という思い。本来であればその土地の雇用を生み、税収を増やす重要なファクターだった地場産業が、今では補助金で盛り上げても本質的な解決にはならないような、地盤の弱いものになっている。そうした危機感に向き合いたいという思いが、山口氏の中で高まっていたのです。

企業が街づくりを担うことでその土地と企業の価値を高めていくという事例は、世界各地で見られます。石見いわみ銀山の跡地だった過疎地域を活性化したアパレルブランドの群言堂(島根県)、アイラ島全体を観光資源として盛り立てたスコッチメーカーのボウモア(スコットランド)などが好例です。
菰野町も同じように、地域全体の仕組みを変えるような取り組みができないか、構想を練っていきました。その名も「山口村構想」です。また菰野町には、温泉宿泊施設と、お米や大豆を作る豊かな農地、数は多くないものの味が確かな飲食店があります。それらを束ねるための一つの拠点として「かもしかビレッジ構想」も生まれました。
稲波氏はこのタイミングで、これまで掲げてきた「産地を残す」というミッションの刷新を提案。新たなミッションとして「新しい地場産業のかたちを創る」を胸に、山口陶器は再び立ち上がりました。

「ミッションを変えるだけで何が変わるのか、と思う人もいるかもしれません。ですが、やはりミッションというものは、その企業の軸となるものです。その軸が変わるだけでブランドの方向性が大きく変わることでもあります。山口陶器がもしミッションを変えなかったら、ただ商品数を増やすことでブランドを大きくしていただけかもしれないし、さらなる事業展開としても飲食業界くらいしか道がなかったかもしれません。ミッションを大きく変えたことで、陶器業のみならず広く産業としての目的意識を持って、明確なビジョンを打ち出せるようになったと思います」

前述の通り、地場産業とは、その土地の産業・文化を担い、地域のためになる企業のことを指しています。その土地の文化や文脈を伝えていきながらその土地の経済をまわせるような構造になっており、企業の利益だけでなく、地域と共に成長できるノウハウを築くものです。産業と文化の両輪を回せるという特徴が最大のメリットであり、またそうした地場産業を持続させるための施作を考えていく必要があります。

「新しい地場産業」とは何か。稲波氏は「地域のために、成る産業」だと言います。“企業が日本にあるが工場が海外にある”という企業は、果たして地場産業と言えるのでしょうか。その企業の活動が地域の発展に繋がり、地域の発展が地場産業の発展にもつながるような、地域との協力関係を持った企業。それが新しく定義づけられた現代の地場産業なのです。

山口村構想の中で、各コンテンツの真ん中に、エリアブランディングのための交流拠点として設置された「かもしかビレッジ」。山口陶器の会社の裏で、1500坪ほどの土地とそこにあった古民家を改装して作られました。
現在では月に一回の定期イベント「かもしかビレッジ開村日」が開催されたり、フリーのワークスペースとして不定期でゆるやかに場を開いたりして、県内外の人が菰野町の様々な産業に実際に触れる活動拠点となっています。

地域と産業の関わりを考え続けてきた山口陶器は、近頃では活動の幅がますます広がっています。

2019年に企画した「大日本工芸市」では、全国の工芸を集めることをコンセプトに、全国から多くの企業やメーカーが集まって四日市近鉄百貨店にて販売会を開催。翌年2020年からは伝えて売る場「伝売日本市」と名前を変え、全国各地に実際に赴きその地域の地場産業を発信することをテーマに、年に一回のペースで開催しています。

一つの企業のリブランディングから地域、そして日本各地へと次々に新たな繋がりが生まれていく中で、最近では「東海湖産地構想」というプロジェクトが動き始めています。ローカルサプライチェーンを敷いて発展した地場産業は、事業継承の難しさによってその構造が失われつつあります。
一つのものづくりに対して近隣の企業が分業して取り組み、地域全体で生産できていたかつてのようなつながりは昨今では本当に希薄なものになりました。
この構想では、その土地のものづくりを100年先まで繋いでいくために、既存の産地や企業の枠を超え、必要な事業環境の再構築を目的に、新しい産地形成を目指しています。

東海湖とは、3000万年前に愛知、岐阜、三重を跨いで存在したと言われている湖のこと。この湖により上質な土が育まれ、東海地方に多くの陶器の産地が生まれたと考えられることから、東海湖がもたらした産業の繋がりにもう一度目を向け、ものづくりのサプライチェーンを補い合っていくべく、少しずつ話し合いが進められています。


まとめ デザインの価値を伝え、社会のデザイン力を上げたい

山口陶器のように、個社からエリア、そして産地産業へと活動展開を広げていく中で、デザインの関わり方はいくらでもあるはずです。ただ見えるものだけをデザインするのではなく、クリエイティブの知見と視野の広さを持って一緒に考え、クライアントの思いを形に変えていくことが、「デザイナーが伴走していく」ということ。このように良きパートナーになることで、デザイナー自身のフェーズもどんどん変わっていくはずです。稲波氏曰く、デザインの役割は、「したい!」を導き出し、思想(コトバやコンセプト)をカタチに落とし込むこと。そうしたデザイナーと事業者の関わり合いを、稲波氏は『PYON(ぴょん)理論』と呼んでいます。

「いろいろな事業者の皆さんと、とても濃い関係で仕事をさせていただく中で、ある時ふと、事業が飛躍する感覚を覚えることが度々ありました。1社だけではできなかったことが、2社が交わることで解決される感覚。それを表現したのがこのPYONという言葉です」

専門家同士が協業(コ・クリエイション)し、クライアント自身が目的をしっかり腹落ちさせることができたとき(センスメイキング)、創造的・直感的な飛躍(クリエイティブブリープ)が起こる。このメソッドはデザインが交わるからこそ生まれるもので、稲波氏はこうした関わり方の素晴らしさをもっと多くの人に伝えていく必要性を感じています。
また、近年の調査結果では非クリエイティブ職においてもクリエイティブスキルの必要性が増え、経営者層もクリエイティブスキルの重要性を感じながらも、その半数近くがそのアイデアを実現していくための時間やスキルがないと感じているということがわかっています。(「中小企業の経営者におけるクリエイティブに関する実態調査」アドビ株式会社調べ (2021年))

そこでスタートしたのが「イナバデザインスクール」です。「デザインをみんなのものに」というコンセプトのもと、誰もがデザインを使いこなせる世の中になるように、学生から経営者まで、立場の違う人同士がフラットにデザインを学ぶ場になっています。

事業にデザイナーを伴走させることの素晴らしさを伝えることで、デザインの持つ可能性を感じる人材を育てていくこと。稲波氏が「社会のデザイン力を上げる」ために大切にしていることです。


Q&A

講演の最後には、講演中に寄せられた質問に回答していただきました。

かもしか道具店のロゴの書体ですが、元にしたフォントはありますか?

ー 「平成角ゴシック体」というフォントです。ちょっとアレンジして使いました。フォントの選定はフィーリングで決めることもありますけど、例えば明朝体の発するメッセージとゴシック体のメッセージは違うので、地域性が強いかもしか道具店のフォントは、ロゴは比較的ニュートラルなものにしたくて、ゴシック体を選びました。

問いかけを行っていく上で、言語化が苦手な方の場合はどのように対応されていきますか?また問いかけの質を上げていく上で日々実践されていることはなんでしょうか?

ー 自分の考えを言葉にするのが苦手な方、自分の考えを外に出すのが苦手という方は結構多くて、特に職人的なお仕事をされている方はそういうタイプが多いように感じます。
ヒアリングにおいては「とにかく事実を聞いていくこと」を大事にしています。個人的な考えの奥に本当の課題が隠されているものですが、多くの場合、当人は認識できていないことが多い。
なので、本人の考え方を聞くことをあまりアテにし過ぎず、事実を淡々と聞くようにしていますが、すると状況の輪郭が冷静に見えてくるし、事実は比較的相手にも伝えやすいんです。

(上記に関連して)問いかけのコツってありますか?

ー ビジネスライクではなく、人と人として相手に興味を持つことが何より大事だと思います。目の前にいる人の考えや行動にどれほど興味をもてるか。それによってこちらの反応も大きくなるし、すると、相手もより前のめりになってくれると思います。

ブランディングをする中で特にこだわっていること、一番大切にしていることについて教えていただけますか

ー 先ほどの「PYON理論」の中で二つ目の段階としてお伝えした「目的の腹落ち」がとても大事だと思っています。ともにつくりあげたミッションやビジョンについて、関わる人たちがしっかりと腹落ちできて入れば、その後の動き方が変わってくると思います。
デザイナーだけでなく企業側も腹落ちできていれば、そのブランドは企業が自ら動かしていくことができる。とにかく深掘りをして、目的をきちんと決めることが大事だと考えています。

町の理解を得るときに大変だったエピソードはありますか?

ー ありますね〜(笑)  街づくりと企業のブランディングの違いについてお話しすると、街にはステークホルダーが多いということです。
ブランディングとは、「ある一つの価値観に集約していく手法」とも言えるので、年齢、性別、生活スタイル、利害関係など何もかも違う中で、一つの目的に集約させることはとても難しいです。
ただ、そこに住む人たちの顔色ばかりを伺ってブランディングしてしまうと収集がつかなくなってしまうので、大切なことは「いかに自分が主体的に動かせるか」だと思います。誰かが望んでいる町ではなく、自分たちが望んでいる町を作ろうとすること。当然賛同する人もいれば、賛同されない人に攻撃されることもありますが、自分たちの主体性があれば揺らぐことはありません。

デザイナーという枠にはまりきらない活動ですが、どういった思いでデザイン以上のことを始めたのでしょうか?

ー 学校を出てすぐ仕事を自分で始めてしまったので、割と最初から、「求められていること以上のことをすればお客さんが喜ぶ」ということが体に染み付いていました。
チラシのデザインの案件を受けたとして、依頼内容の原稿から見直してしまうというようなことが当時からありました。「常に上流に対して疑ってかかることを繰り返していたら今に至った」という感じです。
でもそれは「デザイン以外」という感覚はないんです。デザインの前の段階に取り組んでいるだけというか、全部「デザイン」です。

予算がなく広告等ができない小さな会社でもブランディングやプロモーションは可能でしょうか?

ー そうした会社こそ、ブランディングに取り組むべきだと思います。広告の予算はその都度消えていく側面があるものですが、一方ブランディングの予算は次第に積み上がっていくものです。正しい使い方をしたらきちんと会社に返ってくるし、会社の価値が上がっていきます。「ブランディングは中小企業戦略だ」という言い方をよくするのですが、つまり、「物量で勝てないから尖らせるしかない」みたいな考え方だと思うんです。小さな会社こそ、ぜひ取り組んでみてください。


最後に稲波氏は、今回のテーマを改めて伝えてくれました。

とにかくデザインを事業に伴走させる価値を伝えたい。目にみえるデザインだけでなく、目に見えないデザインに取り組むことが、目にみえるデザインをより一層活かす状況を作ると思います。最終工程としてデザイナーに仕事を頼むことではなく、もっと上流からデザイナーと一緒にペーシングしていくこと。そこの価値を知ってもらえたらと思ってお話しさせていただきました。今日はありがとうございました」


Font Collegeはこれからも不定期に開催し、noteでレポートを掲載していきます。今後の掲載もお楽しみに。



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