デザイン書体「タイポス」誕生。写植時代からUD化まで、今もなお斬新に映る書体の60年間
今回のフォント沼なハナシは、「タイポス」という書体について深掘りします。
ふところが広く図形的に整理された骨格と、縦画と横画のコントラストが特徴的なこのスタイルは今ではさまざまなところで目にするデザインですが、はじまりは60年ほど前、学生たちによって考えられた書体でした。
この「タイポス」という名前がつくファミリーは4種類あり、時代とともに形を変え愛されつづけるロングセラー書体となっています。
独自の設計思想とコンセプトで日本の書体デザインに大きな影響を与えてきたタイポスが、業界の変化とともにどのように発展してきたのか、そのあゆみを振り返ります。
1. 写植時代
明朝体でもゴシック体でもない “新書体”
タイポスは現在主流となっている「デジタルフォント」以前の写植(写真植字)用の書体として1960年代に初めて発売されました。
今やほとんどの人がPCを所持し、授業や仕事でフォントを選んだ経験があるという環境ですが、もちろん当時各家庭に写植機はなく、書体は出版社や印刷会社が扱うものでした。
60年代の写植機で使うことのできる書体の多くは明朝体かゴシック体、筆書体です。
デザイン書体だけでなく、今ではごく一般に使われる「新ゴ」のような水平垂直に整理されたモダンスタイルのゴシック体もまだ世の中に存在していませんでした。
そんな中、明朝体や筆書体、筆脈の残る既存のゴシック体でもない、スッキリとしたデザインが特徴的な “新書体” として誕生したのがタイポスです。
「デザイナー」によって生み出された書体
明朝体・ゴシック体といった書体は伝統的に「職人」が作るもので、看板やポスターなどにあしらわれている装飾的な文字といったら図案家(今で言う「デザイナー」)が手書きする「描き文字」によるものでした。
そんな中、なぜこのような自由な発想の書体が生み出されたのかというと、タイポスはデザインを研究する学生たちによって発案された書体だったのです。
1959年、武蔵野美術学校に通う数名の学生たちが卒業制作として “新書体” の開発をスタートし、そこにのちのタイプバンク(2017年にモリサワが吸収合併)の創立者でもある林隆男氏が加わり、研究グループ「グループタイポ」が結成されました。書体名「タイポス」もこのグループタイポから取って名付けられました。
「A1明朝」や「太ゴB101」のように明朝体を表す「A」、ゴシック体を表す「B」がつくといった書体の分類がわかる書体名をつけられることが一般的であったため、この「タイポス」というネーミングも当時はなかなか珍しかったそうです。
彼らの試みは、明朝体の筆脈が残るかなをデザインされた漢字のエレメントと統一できないか、という着眼点から始まりました。
日本でごく一般に使われている明朝体は、よく見ると漢字とかなとで異なるエレメントで構成されています。
また、デザイナーとして海外のタイポグラフィーから刺激を受け、和文書体でも文字を大きく使ったグラフィックデザインに挑戦するも、手書き由来の字形を持つ既存の和文書体を使うことに彼らは違和感を感じていました。
そこで、従来の明朝体は漢字とかなが区別しやすいデザインであることで読みやすい組版であったのに対し、タイポスは紙面の見た目が均一に整って見えることを優先した書体として今までの和文書体にはないコンセプトで作られました。
個性的な表情を出したいときに、欧文のようにスッキリとした印象になるような日本語書体を使いたいという、グラフィカルに書体を使うデザイナーならではの思い切った発想も新しい書体が生み出された一因でした。
斬新な設計思想
・線の太さを表す数字
「斬新な書体設計」というのも、手書きの文字の形をもとに作られてきたかなが “デザイン” されるようになったのはタイポスが初めてと言っても過言ではないくらい、これまでの書体制作のアプローチと全く異なるものでした。
既存書体の太さは「細・中・太」(近年ではR・M・B…など)のように相対的に太さが振り分けられているのに対し、タイポスファミリーは字枠(仮想ボディ)を100として各ウエイト縦画・横画の太さをそれぞれ数値で表しています。
例えば、書体名に「タイポス411」のように数字がふられており、これらの数字は横画4・縦画11のように太さを表します。
・明朝体にもゴシック体にも合うかな書体
和文書体開発において、複雑で文字数の多い漢字を新たに一揃いのデザインで作ることは当時の技術では膨大な手間と時間がかかり、彼らにとって大きな壁となっていました。
一方、日本語組版においてかなは60~70%を占めており、かなの書体を変えただけでも紙面の表情が全く変わって見えると言われています。
そこで、タイポスは既存書体の漢字に合わせて使われることを想定したかな書体として作られることになりました。
明朝体に合わせるハイコントラスト(*)のかなと、ゴシック体に合わせるローコントラストのかなといった、骨格は同じでも明朝体にもゴシック体にも調和するウエイト展開を検討し、今までにない不思議なニュアンスを持つ書体になったのです。
・横組みを意識した水平・垂直な画線
あらゆる場面で文字が横組みされるシチュエーションが増えてきた時代でもあったため、成り立ちが縦書きの筆の流れに由来するかなを横組みと親和性の高いものにするというのもタイポスで実現したいことの一つでした。
具体的には、筆脈を減らし、かなを漢字の高さを近づけ横画を水平に長くすることで横の字並びをよくし、視線の流れがスムーズになるように設計されました。
また、横画だけでなく、縦並びをよくするためにも縦画に近い曲線を垂直線にしたり、斜めの濁点も垂直にして位置をかな全体で揃えるなど、有機的なエレメントが単純に整理されていきました。
文字盤が発売され、たちまち人気書体に
・一世を風靡したタイポスの発売
1962年、グループタイポは最初にタイポス37・411の写植用の文字盤を完成させ、グラフィックデザイナーとしての彼ら自身の仕事でタイポスを使い始めました。1965年に自力での文字盤の販売を始めたのち、1969年に写植機を取り扱うメーカー写研からタイポス35・37・45・411が発売されると、新聞や雑誌広告だけでなく、本文組でも使用事例が見られるようになります。
さらにタイポスとその設計思想を普及させる活動として機関誌『タイポ1』『タイポ2』の刊行や、デザイン関連のアワードにも入選するなど発売するやいなや話題の書体となりました。
・タイポスの成功を機に新書体ブームに
広く販売されるようになったタイポスは、当時を代表するファッション誌やベストセラー書籍の本文にも使われるようになり、70~80年代の日本の印刷物をモダンなビジュアルに塗り替えていきました。
これをきっかけに業界全体で明朝体・ゴシック体の枠にとらわれない、今までにない新しい書体を作るムーブメントが起こり、和文書体のバリエーションが一気に増えました。
今ではデザイン書体の中でもコントラストのある書体が「タイポス系」と呼ばれるようになるほど、一つの新しいスタイルを作ったタイポスの誕生は書体業界においてセンセーショナルな出来事だったのです。
2. デジタルフォント化
1990年台、コンピューターを使ったDTP(デスクトップ パブリッシング)の流れによって、写植機でしか使えないタイポスは使用頻度を落としていきました。
また、グループタイポメンバーは文字盤で大きな売り上げを得たものの、卒業後それぞれの仕事に追われ開発に十分な時間を取れずにいました。
そんな中、時代とともに書体制作フローのデジタル化・効率化が進み、林隆男氏の遺志を引き継いだタイプバンクでデジタルフォント化、そして大きな壁であった漢字の制作が進められるようになります。
オールマイティなかな書体
まずは既存のかなのデジタル化から始まりました。
すでに各社から漢字を含む明朝体・ゴシック体がデジタルフォントでリリースされていたため、それらのどんな漢字にも合うかな書体「タイポスオールマイティ」としてファミリー展開されました。
・漢字に合わせたファミリー展開
合わせる書体の漢字と黒みを揃えるべくかなの太さの調整が行われ、タイプバンク明朝・タイプバンクゴシックを軸に当時市販されていた明朝体の漢字に合わせるかなを11種類、ゴシック体に合わせるかなを14種類の太さのバリエーションが用意されました。
また、文字盤として販売されているものから太さの値が変わったため、「タイポス77」にあたる書体を「タイポスA 88」に変更するなどウエイト表記もフォント化にあたって刷新されました。
・デジタルデバイス向けにリデザイン
写植書体のタイポスに比べフォントのタイポスはデジタルデバイス向けに直線的にリデザインされています。
グループタイポメンバーでスケッチし直したものをタイプバンクで錯視調整が行われ、柔らかい文字を硬くするだけでなく、硬すぎる文字も柔らかくするなど、全体のバランスをとってより自然で読みやすく整った見た目に調整されています。
念願の総合書体化
タイポスの漢字はグループタイポメンバーの卒業後も外注しながら開発が進められていたものの、かなと同様に写植用の技術に合わせてデザインされていました。
しかし、この資産を眠らせるわけにはいかない、と発案から40年以上の時を経て漢字を含めた総合書体化が実現します。
・漢字と欧文を搭載
「漢字タイポス」は45・48・410・412・415の縦の太さが異なる5ウエイト展開で、かなのシンプルで明るい字形は漢字にも受け継がれ、印刷物だけでなくWebやテレビテロップなど画面表示でも見やすいデザインになっています。
また、漢字タイポスでは欧文も搭載され、より統一感のあるデザイン書体として生まれ変わりました。
3. UDタイポス
2000年台後半になると、アクセシビリティへの関心の高まりから、文字の判別のしやすさと読みやすさを目的に開発されたUD書体(ユニバーサルデザイン書体)が各社から続々リリースされました。
UD書体の中でも唯一デザイン書体がUD化された例である「UDタイポス」は、タイプバンクでTBUDゴシック、TBUD丸ゴシックの他にUD書体のバリエーションを増やすとなった際、ゴシック体と同様にスタンダードとされる明朝体よりもタイポスの名前が先に挙がり開発が決まりました。
というのも、明朝体は鱗や鋭いハネやハライといったエレメントが読みにくいという方も多く、それに対してタイポスは装飾が少なくスッキリとしており、弱視やディスレクシアの方にとっても読みやすい書体としてUD書体に向いているのではないかという考えがあったからです。
さらなる可視性と可読性の改善
・可視性を高めた太い横画
UDタイポスは58・510・512・515の4ウエイト展開で、漢字タイポスに比べて横画の値が1太く設定されています。
明朝体系の線にコントラストのある書体は細い線が見えづらいため、UDタイポスではコントラストを下げることで可視性を高めています。
・UD書体としての調整
タイポスの個性を保ちながらUD書体としてできるだけ多くの人にとって読みやすい書体になるよう、UDタイポスでは漢字タイポスよりも字面が大きく調整され、識別しにくい濁点・半濁点や拗促音もやや大きく設計し直しました。
また、画像のように比較してみると、デジタル化のタイミングで直線的にリデザインされた線も手書きの形に近い有機的な処理になっていることがわかります。
可読性を高めることを目的としたこの有機的な処理は、意外にも写植版のデザインが好きだったというタイポスのファンからも喜ばれたそうです。
今までにないデザインでグラフフィック用途で使うために作られたタイポスが、新たなスタイルの一つとして世の中に定着していき、読みやすい書体としても展開されるとは発案当時は全く予想していなかったのではないかと思います。
その明るくスッキリとしたデザインを活かしながら時代ごとのニーズに合わせてリデザインされ、今でも使われつづけていることにタイポスという書体の息の長さを感じます。
あとがき
今回は書体デザインから時代背景まで、さまざまな面からタイポスを掘り下げていきました。いかがでしたでしょうか?
筆者としては、タイポスのデザインが好きなのはもちろん、書体名の謎の製品番号が何を意味しているのかを知った瞬間が “沼” だったため、ウエイト展開の話について書けて大満足です…!
共感していただけたら(そうでもなくても)ぜひ「スキ」お願いいたします。
今年のモリサワ新書体にも見られるように、今ではタイポスのようにアイキャッチなデザイン書体がたくさんあります。60年前の斬新なものが次々と生み出された時代にも憧れる反面、本当に書体の選択肢が増えたのだなぁと多様なデザインがあることの豊かさを改めて感じます。
次回のフォント沼なハナシもお楽しみに!(担当:H)