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〈モリサワnote文字旅〉ウイリアム・モリスに逢いに行く。理想の書物と理想の書体

秋めいてきた10月某日、モリサワnote編集部一行は、とある特別な「文字」の存在を追いかけて旅に出ました。
辿り着いたのは、群馬県高崎市の緑豊かな森に位置する群馬県立近代美術館。

実は私たちモリサワは、19世紀イギリスで活躍したデザイナー、ウイリアム・モリス(1834-1896)が「ケルムスコット・プレス」と呼ばれる印刷工房で製作した書物の全完本コレクションを所蔵しています。そしてその一部が今、この群馬県立近代美術館の企画展で公開されているのです。

その名も「理想の書物」展。

この企画展のキービジュアルになっている革表紙の書籍は、ケルムスコット・プレスのうち、世界三大美書にも数えられている『ジェフリー・チョーサー著作集』です。

このコレクションたちは通常、モリサワの大阪本社にお越しになったお客様にゆっくりご覧いただけるよう、特別のショールームで展示しています。
一般の方にはなかなかご紹介できる機会が少ないのですが、この「理想の書物」展ではモリサワ所蔵の10タイトルが大公開されています。 

この企画展開催に合わせて、ケルムスコット・プレスのこだわりの書物や活字を今一度振り返りたいと思ったnote編集部。
今回は特別に「文字旅」企画として、群馬・高崎の地からモリスやその時代の文字たちをご紹介したいと思います!


ウイリアム・モリスのオリジナル書体

ウイリアム・モリスは、デザイナーの他にも詩人、作家、経営者、社会思想家など多彩な肩書きを持つことで知られる人物です。「モダンデザインの父」とも呼ばれる彼は、産業革命以降の効率重視の生産に反し、職人のものづくりの精神を重視して芸術と工芸の統合を目指したアーツ・アンド・クラフツ運動を率いました。

そしてモリスは、ブックデザインとタイポグラフィの分野でも功績を残しました。

“The Poems of Keats”  『キーツ詩集』

開催中の企画展の名称にある「理想の書物」とは、モリスがブックデザインのあるべき姿を提唱した実際の講演タイトル(“The Ideal Book”)が由来。
展示ではその名に相応しい、19世紀から20世紀初期にかけてイギリスで出版された美しい書物が約100点紹介されています。
その中でもモリスの手掛けたケルムスコット・プレスの品々は、こだわりの本を作る当時の私家出版社(プライヴェート・プレス)を牽引した代表的存在です。

ケルムスコット・プレス
19世紀の印刷産業の機械化が進むイギリスにおいて、ウイリアム・モリスが中世紀の写本や初期活字時代の持つ美質に立ち返り、「理想の書物」を目指して1891年に立ち上げたプライヴェート・プレス。自ら出版する内容を選び、手仕事による小規模の工房で、活字、紙面デザイン、装丁、製本を全て特別に作り込む芸術性の高い私家版出版社でした。
この活動は欧米のタイポグラフィの水準を引き上げ、その後の商業印刷の発展にまで影響を与えたと言われています。

モリスは、自身が理想とした美しい本を実現するために、活字のデザインの重要性や、版面と余白とのバランスに関する規格化など、ブックデザインの基礎を初めて提言したと言われています。

そしてモリサワnote編集部が注目したいポイントは、モリスがオリジナルの書体まで自分で編み出していたことです。
ざざっとご紹介しますと…

ゴールデン・タイプ  

ケルムスコット・プレスの『黄金伝説』という作品のために作られたことから命名されたローマン体。

“The Golden Legend” 『黄金伝説』
“News from Nowhere” 『ユートピア便り』

15世紀にイタリアのニコラ・ジャンソンによって作られたジャンソン・タイプを参考にデザインされています。ジャンソン・タイプは「極端な太さ・細さがなくしっかりしており、無理に圧縮もされていない」美しい活字であるとして、19世紀のモリスが魅力を再発掘したと言われています。

15世紀のジャンソン・タイプ("Laertius"より)


トロイ・タイプ

『トロイ物語集成』のためにブラックレターを元にしてデザインした活字。デザインしたモリス自身が一番好んだとされており、中世の活字を参考にしつつも独自の個性が窺えます。

“Laudes Beatæ Mariae Virginis” 『聖処女マリア讃歌』


チョーサー・タイプ  

モリスが『ジェフリー・チョーサー著作集』のためにトロイ・タイプを縮小してデザインしたブラックレター。ケルムスコット・プレスで一番多用されている活字です。

“Sire Degrevaunt” 『サア・デグラヴォント』

これら3種類のこだわりが詰まった書体が、書物に大聖堂のような芸術的調和を求めたケルムスコット・プレスの根幹を成しているのです。

歴史の息吹を感じる欧文活字たち

前述したモリスの活字以外にも、本企画展では当時の主要活字を見ることができます。

キャズロン・タイプ

18世紀頃、イギリスがまだオランダから活字を輸入していた頃に、ウィリアム・キャズロンが考案した活字。本企画展では活字見本帳が展示されています。


ダヴズ・タイプ

モリスの協力者であったエメリー・ウォーカーが、出版社ダヴズ・プレスのためにデザインした活字。モリスの「ゴールデン・タイプ」と、さらにそのルーツになった15世紀の「ジャンソン・タイプ」を元にしています。当時の活字は、ダヴズ・プレスの工房が閉鎖される時に、誰にも使われないようテムズ川に投げ捨てられたという都市伝説のような逸話があります。


ヴェイル・タイプ

チャールズ・リケッツが自身の出版社ヴェイル・プレスのためにデザインした活字。こちらも「ジャンソン・タイプ」をベースにしています。モリスのケルムスコット・プレスに触発され設立したヴェイル・プレスは、イタリア・ルネサンスの書物や、同世代のアール・ヌーヴォーなどのデザインに影響を受けた本を作っています。


スビアコ・タイプ

アシェンディーン・プレスのために、エメリー・ウォーカーが15世紀イタリアの村スビアコにあった印刷所の書体をもとに作った活字。世界三大美書の一つ、『ダンテ著作集』に使用されています。


ゴールデン・コッカレル・タイプ

「ギル・サン」など20世紀の重要な活字を多くデザインしたエリック・ギルが、ロバート・ギビングズの出版社ゴールデン・コッカレル・プレスのためにデザインした活字。


オールドフェイスの欧文フォントは人気が高く、日本でも愛用している方が多いと思いますが、当時の本の中で生きている姿を見られる機会はやはり貴重です。
皆さんが気になる、理想の書体はどれですか?

さて、展示を見ていくと・・・

「理想の書物」展で、活字と同時に輝きを放っているのが、当時の「挿絵」の品々です。
挿絵というと、現代では主に児童書に使われるイメージがありますが、写真がまだ確立していない19世紀初期は、特に「木口こぐち木版」といった職人技による版画の挿絵技術が発達して、本のページを構成するための重要な存在になっていました。
ちなみにnote編集部は、繊細かつ超絶技巧の版画たちに想定以上に魅入ってしまい、奥にあるモリスの展示コーナーになかなか辿り着けない事態に…。豊かな挿絵の文化にひたすら感動していました。

シェイクスピアなどに代表される文学史の豊かな土壌に、出版ビジネスが成り立つ世界都市ロンドン、芸術と職人技術…さまざまな要素が結びつき、イギリスの美しい本作りを支えていたそうです。
書物の白いページがずらりと並ぶ、静かで落ち着いた佇まいの展示の中に、近代の本作りの歴史的な勢いを肌で感じることができました。

また鑑賞していくうち、今回の「理想の書物」というアイコニックな言葉に、現代に突きつけられる問いを感じずにはいられません。本という媒体が時代とともに今後どのような姿になっていくのか?人間にとって「理想の書物」とはいったい何なのか?という終わりのない探求はまだまだ続きそうです。

群馬県立近代美術館学芸員 松下さんにお話を聞きました!

編集部は今回、モリスの作品を出品する際にお世話になった、群馬県立近代美術館 次長兼学芸係長 松下由里さんに、美術館の現地でお話を伺うことができました。

展示品の背景を一つずつ丁寧に紹介くださいました

 ーこの企画展で、反響の大きな作品を教えてください。
 
松下 ケルムスコット・プレスでは『黄金伝説』と『ジェフリー・チョーサー著作集』ですね。来場者の方のアンケートでは「何度見ても飽きない」というお言葉もいただいていています。
日本ではモリサワコレクションでしか見る機会のない、『ジェフリー・チョーサー著作集』の特装版をこのたびご出品いただいたので、多くの方に見ていただきたいです。

“The Golden Legend” 『黄金伝説』

ーこの群馬で、多くの方々に喜んでいただくことができて嬉しいです。でもこの『ジェフリー・チョーサー著作集』など、現代では考えられないほどの巨大で重厚感のある本ですよね。社内で展示するときも気を遣います。
 
松下 貴重書の展示方法は難しいです。製本の方法によっては、本の背を痛めてしまう恐れがあるので表紙を大きく開いて展示することが難しかったり、取り扱いにかなり慎重になりました。「紙」自体は保存に強いので丈夫なのですが…。
モリス自身も、自分の本の扱いについて、後の世でこんなに人が苦労する事になるとは分からなかったんじゃないでしょうか(笑)。
 
ー確かにそうかも知れません(笑)。
今回の企画展は日本各地の所蔵品より集められた約100点もの書物が展示されていますが、モリスの「理想の書物」とはどのようなものだったのでしょうか?

松下 モリスは、本来は「文字だけ」で書物は美しくなるはずだと言っています。そこにわざわざ挿絵などの装飾を施すのであれば、よほどうまく入れないと蛇足になるし、ふさわしい装飾であれば、確固とした芸術作品になる、と。
モリスはご存知の通り中世の写本のような、挿絵や装飾頭文字などをあしらった本を数多く作っていますが、自身で究極の書物作りを実践して、理想を果たそうとしたのだと思います。

ケルムスコット・プレスで使われている装飾頭文字

ケルムスコット・プレスは出版された部数も多くないため、当時たくさんの読者がいた本ではありませんでしたが、アーツ・アンド・クラフツ展で紹介されていたこともあり、「理想の書物」のコンセプトがその後の一般書のデザインにも広く影響を与えていたことは間違いありません。同時代の日本にまでその存在が伝わっていましたし、モリスのブックデザインの理論は今も受け継がれています。

ー近代のモリスが目指した理想や実践は、現代の私たちにも繋がりがあるのですね。
ところで、今回の展示内容で松下さんの“推し”があったら教えていただけませんか?


松下 珍しい「エセックス・ハウス・プレス」というプライヴェート・プレスがありまして、そこに使われているエンデヴァ・タイプという活字を見ていただきたいので今回展示しています。特徴的な形をしているので、当時は相当批判されたみたいなのですが…。可愛すぎて、買っちゃいました。

ーえ!?

松下さん蔵のエセックス・ハウス・プレス

松下さんの、底知れぬ文字愛を思いがけず知ってしまいました…。


いつも社内にあるため、恐れ多くも勝手に親近感を感じていたモリスの存在でしたが、この旅で改めて前後の時代のブックデザインや欧文書体のルーツを学ぶことができ、モリスの理解がもっと深まりました。
美術館って、なんて贅沢なのでしょうか…。

「理想の書物」展の会期は2022年11月13日(日)まで。あとわずか!
紙やインクの匂いを感じるような距離で「理想の書物」たちを堪能できるチャンスを、モリスのマニアの方はもちろん、デザイン・印刷出版に携わる方、本や読書を愛する方々はどうぞお見逃しなく。
この芸術の秋に、群馬に足をお運びください!

開催情報
『理想の書物 —英国19世紀挿絵本からプライヴェート・プレスの世界へ—』

・会期
2022年9月17日(土)〜11月13日(日)

・開館時間
午前9時30分から午後5時(入館は午後4時30分まで)
※11月7日(月)は休館日です。

・観覧料
一般900円、大高生450円 
20名以上の団体割引料金 一般団体720円、大高生団体360円
※中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方とその介護者1名は無料

・会場
群馬県立近代美術館
群馬県高崎市綿貫町992-1 群馬の森公園内
※美術館への行き方はこちら

美術館がある、のどかな「群馬の森」


19世紀へタイムスリップならぬタイプ(文字)トリップから、家路についたnote編集部一行。
高崎みやげのお菓子パッケージを見て「この書体は何かな?」とニヤニヤしながら頬張り、次の文字旅はどこへ行こうか…と妄想を膨らませています。




*写真協力:群馬県立近代美術館
*参考文献:
『理想の書物』ウィリアム・モリス著 ウィリアム・S・ピータースン編 晶文社 
『理想の書物ー英国19世紀挿絵本からプライヴェート・プレスの世界へー』カタログ 群馬県立近代美術館