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書体設計士 鳥海修さん特別インタビュー 〜字游工房の歩みと書体へのこだわり〜

新年あけましておめでとうございます。
2021年最初は字游工房創設者の1人、書体設計士 鳥海修さんのスペシャルインタビューをお届けします。字游工房書体がMORISAWA PASSPORTに搭載されたことを記念した特別企画。書体への想いから少しマニアックなお話まで、たっぷりとお聞きしました。


1. 字游工房と鳥海さんとは

改めて字游工房がどんな会社なのかをご紹介します。 

DesignSurf_スライド (1)

有限会社字游工房は、1989年の設立以来数々の優れた書体開発を手がけ、今も尚多くのユーザに支持されているフォントメーカーです。株式会社SCREENグラフィックソリューションズの「ヒラギノフォント」、大日本印刷株式会社の「秀英体ファミリー」の一部書体、凸版印刷株式会社の「凸版文久体ファミリー」などの委託制作のほか、自社ブランドとして「游書体ライブラリー」の「游明朝体」「游ゴシック体」などの書体を手掛けてきました。2019年、モリサワのグループ会社となってからも、独自の開発力を活かした活動を展開しています。

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お話を聞いた人:書体設計士 鳥海修(とりのうみおさむ)
1955年山形県生まれ。多摩美術大学卒業。79年株式会社写研入社。89年に有限会社字游工房を鈴木勉、片田啓一の3名で設立。株式会社SCREENグラフィックソリューションズの「ヒラギノシリーズ」、「こぶりなゴシック」などを委託制作。一方で自社ブランドとして「游書体ライブラリー」の「游明朝体」、「游ゴシック体」など、ベーシック書体を中心に100書体以上の書体開発に携わる。

2. インタビュー1 〜字游工房と歩んだこれまで ベーシック書体への想い〜

―まず、字游工房という名前の由来を教えてください。
鳥海:写研を出て会社を立ち上げて、名前を色々考えた時、「TypeBank」っていい名前だなと思ってたんです。でも、自分たちに英語は似合わないし…なんかないかなあ…って考えていた時、「自由に文字を作りたいよな」ということになったんです。ただそのまま「自由」だとつまらないから、「字」に「遊」で「字遊工房」にしようと決まったんです。でも、なんとなく軽いなあと思っていてね。そのまま公証役場に申請書類を提出しに行く道で、あるギャラリーの名前で「游」と言う字を見つけたんだけど、それを見て「これだ!」って思ったんです。そこで決まりました。

―ええっ、その道中で決まったんですか!
鳥海:そうそう。名前にそこまで深い意味はなくてね。ただ、元を辿れば、自由でありたい、っていう想いひとつ。まあなかなか自由にならないってことはわかっていたから、「文字」に「遊ぶ」くらいがちょうどいいかなと思ったんだ。

―そんな想いからスタートした字游工房ですが、ズバリ一言で表すと、どんな会社だと思われますか?
鳥海:んー…実際にそうなっているかはわからないけど、少数精鋭でありたい、と思っています。他社からお願いされる書体を手がけるのと同時に、自分たちで作っていく書体も制作を進めていかないといけない。割とずっと、両輪を回していくスタイルを続けてきたんです。うちは10人くらいの会社なんだけれど、常に複数の書体をみんなで手掛けていて、例えば3人ずつくらいのグループに分けて常に3つの書体を回していくとか、そういう感じ。そう考えると、個人に依存するところは多かったように思いますね。

―なるほど。そのスタイルは、設立当時から変わらないですか?
鳥海:うん、そうですね。最初10年くらいはヒラギノシリーズの開発がメインで。比較的安定して続いていた仕事で、ずっと1つのシリーズに関わっていることができました。とはいえ、ヒラギノシリーズも例えば明朝だけでも当時7つのウエイトがあったし、ゴシックでも9つ…結局、10年間で20近い書体を作ってきたんです。そうすると、並行して進めないと回らないという状態ではありました。

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―設立して30年、常にお忙しくされてきたんですね。中でも一番印象的だったエピソードを教えていただけますか?
鳥海:やっぱり、2000年幕張メッセで行われた当時のApple社の新商品発表会ですね。Macにヒラギノを標準装備することを発表した時、壇上でスティーブ・ジョブズ本人が「ヒラギノ明朝体 W6」の「愛」と言う漢字を出して “Cool.” と言ってくれたんです。それはとっても思い出深いです。とても誇らしかった。
あとは、株式会社キャップスの近代文学向け仮名書体「文麗仮名」のプレゼンテーションをした時ですね。書体名を伏せて既存の本文書体10書体とごちゃ混ぜにして机に並べて、社員さんに、この中で自分がいいと思うものを選んでもらったんです。そしたら、ほぼ全ての社員さんが新しくできた書体がいいって言ってくれたんです。文学ジャンルに合わせた書体なんて初めての試みだったから、やったー!って感じだったな。

―どちらもとてもドラマチックな出来事ですね。やはり、字游工房といえば、今お話に上がったように、いわゆるベーシック書体、本文書体が有名だなと思うんです。反対に、デザイン書体はあまり手掛けいらっしゃらないですよね。その理由は何かあるんでしょうか?
鳥海:そもそも、私がこの世界に入ったきっかけが、本文書体だったんです。毎日新聞に勤務していた小塚昌彦さんが、新聞書体に対して述べた言葉で「日本人にとって文字は水であり米である」という言葉があるんだけれど、私は学生時代この言葉に本当に感動したんです。それがこの道を志したきっかけで、そこから今までも、ベーシック書体を作ることに高いモチベーションがあるんです。
“水や米” なんて言われたら、つまり、 “日本人の文化そのもの” ですよね。
私の考えで言えばね、書体を1本の木に例えるとすると、本文書体は幹であると思うんです。この幹が細くなっていってしまうことは、文字文化の衰退に通じるんじゃないか、そして、本文書体の多様性が増えていくことは、木の幹が太くなっていくということ。この幹が太くなっていくことは、私にとってとても大切なんです。
あとはね、字游工房への主な依頼がベーシック書体だったことも大きな理由ですね。 “他の書体では読みづらい” “こういうシーンで使いたい” というリクエストが来るようになって。自然とうちはベーシック書体をたくさん作ってこれたんです。

―それは、鳥海さんの想いが、会社の方針として世の中に浸透していった証拠ですね。
鳥海:そうですねえ。運が良かったんですよ、きっと(笑)

―書体開発のやりがいや難しさ、とはどう言ったところになるんでしょうか。
鳥海:まず、漢字だけでも大体1万5千字くらい作らないといけないわけですよね。何人かで少しずつ作っていて、それを、誰かがまとめなくちゃいけない。作る人一人ひとりが技量も感性も違う中で、なるべく統一した感じで仕上げていかなくちゃいけないのは本当に膨大な作業量で、手間がかかりますよ。
しかもね、文字って、同じものは二度と作らないんです。例えば「リュウミン」で “東” という文字を作ったら、今後もう二度と同じ “東” という文字は作られません。違う文字を作り続けるというのは、本当に気の遠くなるような作業です。効率化したり機械化したりしてできる作業じゃない。だから、うまくいかないことも多いし、つまずいてしまうことも多い。

―確かに、言われてみたらその通りですね。毎回違うものを、膨大な数作り続ける。そんな仕事なかなかないですよね…。
鳥海:ないよねえ。試行錯誤の繰り返しなんですよ。

―やりがいも難しさもそのあたりに尽きそうですね。
鳥海:そうなんです。文字を一つひとつ作る仕事も、全てをまとめるのも、どっちも大変で。文字ができたとしても、次は、かな、漢字、アルファベット、全てに統一性を持たせていくことが必要になってくる…日本語の複雑さを感じますよね。だから、1つの書体としてまとめていくということは、最終的に本当に感覚でしかできないんです。そのための感性を養うには日々何をすべきか考えていく必要があるんです。一朝一夕じゃできない作業だと思っています。

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3. インタビュー2 〜文字への揺るぎないこだわり〜

―ここからは少し鳥海さん個人についてのお話もお聞きしていこうと思います。まずは、好きなかなのグリフは何かありますか?
鳥海:んー。基本的に、かなは平等だと思って作っているんだけどね。そうは言いつつ、選んでみました。


鳥海:2画目の、縦に下がっていって小さな結びを作るところ。そこをどう処理するのかが腕の見せ所ですね。さらにそこからぐるっと大きく曲がって、そこから点に行くまでの流れも肝心。


鳥海:1画目の横線から2画に入るときに、右から入るのか左から入るのか。斜め下に下がっていって、左へグルンと曲がる時の斜めの線の流れが私の中ではとても肝です。無骨にも優雅にもなるのがこの部分ですね。


鳥海:まず、変じゃん(笑)多くの文字って、一本一本がつながっている。「の」は1回も紙から離れないで書ける。そういったものに反して、「ふ」は4つの画を全部離れることもできるし、くっつくこともできる。全部離す時の「間」が奥ゆかしい。格好よく決まると嬉しいですね。


鳥海:とっても複雑な文字。1画目の縦線と、2画目との関係が重要。最終画の横に流れて行く関係も、処理によって優雅に見えたり縮こまって見えたりする。その処理の仕方でこの字はとにかく格好よくなるんですよ。

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―いずれも流石というべき視点です。私は小学校の時の書道で一番苦手だったのが「れ」でした!
鳥海:講演とかで、文字を1文字書くことになった場合に、私が自分で選べるとしたら「お」や「れ」を書いたりすることが多いですね。

―生活の中でも文字は意識してしまいますか?職業病みたいなものはありますか?
鳥海:お店に行こうとして、その看板が嫌だったら入らないですね(笑)あとは、手にとった本の書体がいやだったら買うのやめようかな…となりますね。

―いいなと思ったお店や文字はありますか?
石川県金沢市内にある「若葉」というおでん屋さん。そこに書かれている手書きのメニューの字がとても良くて、それを見た瞬間「ここは旨い!」と思いましたね。それから、山形県酒田市にある「久村の酒場」酒田市にある居酒屋さん。店内に書いてあるメニューの字がとにかく美しかったから、思わず誰が書いたのかと尋ねると、そこのお店のおばあちゃんだったんです。しかもおばあちゃんを奥から呼んできてくれてね。そこでしばらく文字についてお話をしました。
お店の中の文字や看板の文字について聞いてみるって言うのは面白いですね。聞いてみると実にいろいろなバックボーンがあって、へえ、と思うことが多い。京都なんてそういうお店が溢れているから、楽しいですよ。

―やっぱり日頃から、文字を見てしまうんですね。
鳥海:見ちゃいますね。電車に乗った時に中吊り広告に目がいきます。最近は新型コロナウイルスの影響なのか、さらに車内にモニターが普及したのもあってか、広告の数がとても減ってしまいましたね。

―週刊誌の広告とか。
鳥海:それも随分と減りましたね。それから、ポスターの質が落ちた気がすると言うか、文字情報が多すぎるポスターが目立つなあ。文字を扱う側だからといって、文字をたくさん使われる方が嬉しいかと問われればそうでもないんですよね、僕はサントリーや資生堂がとてもいいと感じています。ビジュアルと文字の加減がとってもいいバランスで、うるさいことを書いてない。とても参考になります。
数年前にポーランドで見たポスターは、アイソタイプものを多用していて、誰にでもわかるようなデザインが多く、デザインという意味では日本より成熟していると感じました。最近の日本のポスターは “あれしてください” “これしてください” と、まるでただの注意喚起になってしまっているものが多くて、口うるさいお母さんに囲まれている気分になるよ。

―鳥海さんは、モリサワ タイプデザインコンペティションの審査員も務めていらっしゃいますよね。最近の書体の傾向について、どんなことを感じていらっしゃいますか。
鳥海:そう聞かれると結構困るよね。昔と今の違いってあるのかな…

―あまり変わっていないという印象でしょうか?
鳥海:そうだねえ…あ、中国の方のデザインを例にとると、あるかもしれないですね。
私は中国のフォントベンダーでの審査員もやってるんですが、そこで明確に思うのは、PCで作る文字が多くなっているってことかな。中国は漢字の国だからか、いかに効率よく作るか、パターン化できるかを考えることがとても上手。骨格を作っちゃって後は線を太くする、みたいな。そういった文字は見た瞬間すぐわかりますね。ただ、もう少し手で書いた感覚が見えてくる書体の方がいいと思います。こういうことは日本に対してはあんまり思ってなくてね。まあそういう傾向がないことはないんだろうけど、そこまで多くないと思っています。割とちゃんと手で作っているんじゃないかなあ。
あとは、僕が審査する上ではやっぱりベーシック書体を重要視しているんだけれど、ベーシック書体って作るのも難しいし、あんまり目立たない。きちんと作っていこうとしていく人が、最近はやや少ないのかもしれないですね。

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モリサワ タイプデザインコンペティション 2019 審査の様子
左から、西塚涼子さん、鳥海修さん、北川一成さん、廣村正彰さん

―では、これまでに「これは秀逸だ!」と思った書体は何ですか?
鳥海:本当に美しいと思ったのは、写研書体の「紅蘭楷書」と「石井宋朝体」ですね。特に「石井宋朝体」を見た時の感動は今も覚えています。写研で働いていた当時に見たものなんですが、残業をしていたときに、先輩がふとロッカーから出して見せてくれたのが、「石井宋朝体」の紙原字なんです。それを見た瞬間、人が書いた文字に見えないほど美しいその文字に衝撃を受けたんです。揺るぎがないんですよ、線に。
学生たちに文字の作り方を講義するとき、「きれるような、揺るぎない線を書いて欲しい」とよく言うんだけどね。それはまさに、あの紙原字を見た時の感動が忘れられないから。とにかく線1本、点1つでもいいから揺るぎないレタリングができたら、単位をあげます、と伝えるんです。あれこれ余計なことを考えず、そのことだけを考えろって言うんだけど、みんなやっぱり、文字の形になってないとダメって思うんだろうね。なかなかできる人はいない。でも線1本にこだわるって言うのは本当に大切だと思うんだ。


―ではここで、愛用の仕事道具をお見せいただけますか。

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0.7㎜のシャープペンシル
鳥海:初めに線をひく時に使います。たくさん線をひき、一番いいところをいくつか拾っていくことが文字の始まりです。大まかに線が決まったら、さらに上に紙を重ね、芯となる線を写し取っていきます。

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写巻(しゃかん)
鳥海:毛先を使って線を書く細筆です。シャープペンシルで書いたストロークに沿って筆を動かしていき、少しずつ文字の形を定めていきます。

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品印(しなじるし)
鳥海:写巻より更に細い面相筆です。
写巻でうまくいかなかったところを修正し、整えていくために使います。

鳥海:品印でうまくいかなかったところを直しながら、自分が狙った文字の形がだんだんと出来上がっていく工程が一番嬉しいですね。そうそう、と言う感じ。線が定まったら、それをスキャナーで読み込んでアウトライン化していって、また更に修正を繰り返して、やっと1つの文字が出来上がります。

―最後の質問となります。鳥海さんにとって書体とは何でしょう?
鳥海:それはもう、人生ですよ。

―書体とは人生。この世界に進むことを志した時からそう思われているんですか?
鳥海:いやいや、まさか!そんな、20代の時から書体が人生だなんて思わないよ(笑)『文字を作る仕事』(2016年, 晶文社)を書いたちょっと前くらいかなあ。当時、文字塾とか、社外の人や学生の子たちに文字についての講義をする機会が増えてきた頃でね、書体とどのように向き合うのかみたいな話をするたびに「そうか、自分の書体は自分の生き方なんだな。」と思うようになってきたんだ。
そうなってくるとね、隠すことなんてないと思うようになってくる。私は結構学生たちにも、自分のプライベートな話もしちゃう方なんだけど、人生のいろんな出来事が文字に影響してくるって考えたら、どんな経験も無駄ではないと思うんだよね。今置かれている自分の境遇、それがいいのか悪いのかわからないけれど、それも1つの自分の人間性を作っていく要素になっていて。「あなたが誰かの文字を作るのではなく、あなたが、あなたの文字を作りなさい。」と伝えていきたいですね。

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4. おわりに

鳥海さんが手掛けてこられた書体は、完成に至るまでのこだわりや手間を忘れてしまいそうなほど、日常生活に当たり前のように溶け込んでいます。まさに「水」や「米」のようにシンプルで普遍的です。
書体が文字の芸術品であり、作り手の感性が細部にまで宿っていることに改めて気づかされる、とても貴重なインタビューとなりました。

モリサワでは、そんな字游工房の書体を掲載した、新書体見本帳2020のプレゼントキャンペーンを行っています。
※キャンペーンは終了いたしました。たくさんのご応募ありがとうございました。

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それでは2021年も株式会社モリサワ、そしてモリサワ note編集部をよろしくお願いいたします。

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