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フォントを魅せるための “書体見本” をつくる話  「月下香」に似合うワードを考える

モリサワの “書体見本” はご覧になったことはありますか?

2023年新書体の見本の例

書体はそれぞれ「こんなところで使ってもらえる書体にしたい」といった開発側の意図を込めて作られています。それをユーザーのみなさまにできるだけわかりやすくお伝えするのが “書体見本” です。デザインの特徴を伝えるだけでなく、使ってみたいと思っていただくためにどんな言葉と合わせるか、新書体が出る度に担当者が毎年熟考しているのです……。

今回のフォント沼記事では、2023年にリリースされた新書体の中で、一際目を惹く月下香げっかこうという書体の見本制作の裏側をお見せします。


新書体PR全体のハナシ

まずは2023年のPR施策の全体像をざっくりご紹介させてください。

たくさんの書体見本が掲載された新書体の特設ページはもう見ていただけましたか?
見本制作の前段階として、毎年新書体ラインナップから素材で使うキーカラーやキービジュアル、PRの柱となるサイト上での見せ方を決めていくのですが、2023年のラインナップはとにかくインパクト強めのデザイン書体が多い!!

2023年の新書体

どうしたらそれぞれの書体が一番輝く見せ方ができるかチームで話し合った結果……このラインナップだからこそできる、文字のエレメントを模様のように配置したグラフィカルなキービジュアルと、書体ごとに制作した “ロゴ” をあしらった特設ページといった例年に増して大胆なデザインになりました。

2023年モリサワ新書体 特設ページ

そして、書体ごとの魅力をよりわかりやすく伝えるために用意した書体見本がこちらの3点。

・定型見本(漢字・かな・記号を一覧できるフォーマット)
・書体固有組見本(各書体のイメージに合わせたワードの短文組み)
・モックアップ(使用場面に近いグラフィック作例)

「つぶてん」の例。ロゴや動画テロップをイメージしたワードやモックアップ。

普段書体を使う方は作りたいイメージから書体を選ぶことがほとんどだと思いますが、書体そのものをPRするにあたっては、書体のイメージから使ってもらえそうな場面を逆算して制作物に落とし込んでいきます。

ここからは月下香のPR素材を作る過程を通して、書体見本制作の裏側をお見せします!

1. 「月下香」開発コンセプトの整理

月下香のことを知るために、開発プロジェクトの企画 / ディレクション担当者に書体の推しポイントを聞き取り調査するところからスタートします。この章ではヒアリングした内容を整理しました。

開発のきっかけは?

月下香はモリサワ タイプデザインコンペティション 2016に応募された作品の一つでした。入賞作品ではなかったのですが、そのオリジナリティの高さが社内担当者の目に留まり、作者の方と製品化に取り組んだ書体です。コンペティションという新しいチャレンジを受け入れる機会だからこそ生まれた書体ですね。

応募時の資料

コンセプト・使用場面は?

月下香のイメージとして、レトロ / おどろおどろしい / 異世界感といったキーワードが挙がりました。どこかミステリアスで非日常的な印象を受ける書体ですよね。開発担当の狙いとしては、ハロウィン / クリスマス / ホラーなど……イベントのポスターやバナーで使うと映えるのではないかとのこと。

合わせる言葉によって映る書体の印象は無限大! 新書体お披露目時のファースト・インプレッションをどんなテーマで見せるかは重要ポイントです。

書体名の由来は?

「月下香」は「チューベローズ」という花の和名で、夜になると強く香る特徴があり、香水の原料としても知られています。“夜に映える花” という影のある雰囲気が書体のイメージと合っており、書体名を表記した際も個性をよく表した見た目であったことから名付けられました。

右:チューベローズの写真(https://as1.ftcdn.net/v2/jpg/02/87/22/44/1000_F_287224418_qTN8u52M44WKK3eSTRdx5LoWahG4SEk9.jpg)

書体の主な特徴は?

尖った起筆蔦のように伸び上がるハネやハライといった動きのあるエレメントが月下香の最大の特徴。線画同士がドロドロと溶けたように繋がったり、不規則に凹凸がついたアウトラインは怪しさ満点です……。

骨格はあえてアンバランスに設計されており、文字によってどんな形が出てくるのか良い意味で予測不可能な書体なので、試し打ちのしがいがあります!

また、月下香はよくあるベースラインが揃ったライニング数字に加えて、和文フォントでは珍しいオールドスタイル数字を選択することができるんです。書体のレトロな雰囲気に合わせてこのような特殊な仕様を採用しています。

オールドスタイル数字の使い方はこちらのページでご紹介しています。

推しグリフは?

「冬」や「女」のような画数の少ない漢字は、特に長い蔦が取り入れられているため月下香の特徴がよく出ているグリフ(文字)です。また、“くにがまえ” の台形っぽい矩形もこの書体らしいプロポーションを感じ取ってもらえそうなので見本に取り入れたいところです!

これらの注目してもらいたい文字を構成要素として、組見本ワードを検討をする際のヒントにもしています。

おすすめの使い方は?

月下香は特に大きい使用級数かつ見出し利用で魅力を発揮する書体です。可読性や文字ごとの黒みの統一感よりもデザインのオリジナリティを追求した書体のため、3行以上の文章組みでは他の書体の方が適切かもしれません。

ロゴやタイトルなど、月下香によって言葉の世界観を最大限に引き出せるような場面で活躍しそうですね。

また、かなと漢字に字面サイズの差をつけているため、かなのみで組んだ文字列よりも漢字かな混じり文で、ベタ組みよりは詰め組みまたはラインを揃えずに凸凹に配置する方がより動きが出て書体の面白さが活きてきます。

近いジャンルだけど使い分けてもらいたい書体は?

月下香に近いジャンルの書体で、過去に制作されたモックアップを見てみましょう。

  • 赤のアリス(2019

月下香に同じく装飾的でレトロな雰囲気を感じる「赤のアリス」ですが、スタンダードな骨格でより親しみやすい印象の書体です。使用シーンを想起させるモックアップでは、女性誌の企画タイトルにありそうな可愛らしさを演出する場面で使われていますね。

2022年にリリースされた「オズ」は、特徴的なブラックレター風のエレメントを大きく見せた抽象的なモックアップでした。「迷」の文字が怪しさを彷彿とさせ、ワードは月下香の世界観にも合っていそうですが……オズでは直線的な骨格を生かして水平垂直に文字を組んだ見せ方をしている一方、月下香は文字を傾けたり詰めて組んだりすることで蔦エレメントの自由な動きをより効果的に見せることができそうです。

赤のアリスやオズは四角い仮想ボディに収まり良く設計されているため安定感があって使いやすいデザイン書体ですが、月下香は骨格を崩したグリフが多い分よりインパクトを与えることができるかもしれませんね!

2.「月下香」なワード

続いて、開発担当からバトンを受け取り、ヒアリングした情報を検討材料に組見本で見せる文字(ワード)を決めていきました。組見本では、1枚で書体のコンセプトとその多面性が見せられるよう、なるべく幅広いジャンルから書体にぴったりなワードを厳選していきます。

「月下香」の組見本の完成形

 “おどろおどろしさ” と “異世界感” =「冥界」

“ホラー”  “ファンタジー” といったテーマとも相性が良い月下香。コンセプトでキーワードに挙がった “おどろおどろしさ” “異世界感” を体現した一文です。「今」「界」は四方八方に伸びる蔦のようなはらいを含んだ画数少なめの漢字を取り入れています。

「驚愕のラスト」「サスペンス」の緊張感・切迫感

尖ったエレメントを活かしてサスペンスドラマやミステリー小説に出てきそうなワードを合わせてみると、より緊張感や切迫感を感じさせますね。今回は本の帯のキャッチコピーのような言葉で組んでみました。

レトロで重厚感のある「ジャズ喫茶」

 装飾的な描き文字が多い喫茶店の看板も、月下香で再現できちゃいます。“レトロ” という点で、近いジャンルの「赤のアリス」は素朴で可愛らしい雰囲気があるのに対して、月下香では重厚感のある老舗の喫茶店のような玄人感が出るのがポイントです。

上:月下香 下:赤のアリス

「秘蔵の名画」から感じられる “ミステリアス×豪華絢爛”

カールしたり尖ったりする「名画」からは西洋画の額縁を思わせる豪華絢爛な雰囲気を感じ取っていただけたら嬉しいです。さらに「秘蔵の名画」となると、謎に包まれた感じも相まってますます物々しさが感じられます……! 

エレガントさの中にダークな雰囲気を醸し出す「黒い薔薇」

装飾的なデザインを活かしてエレガントさを感じさせる「薔薇」に、月下香の得意とするダークなイメージとして「黒」を合わせました。デザイン書体の使用事例でエレメントの形状を何かのモチーフに見立てた使い方をよく目にしますが、薔薇のトゲのように尖った起筆も言葉のイメージにぴったりですよね。

組見本ではさまざまな要素を合わせて書体の絶妙なニュアンスを表現しています。
月下香は一見使いづらい書体だと思われるかもしれませんが、見本から意外な場面でも使える書体だと知っていただけたら嬉しいです! 合わせる言葉によってピッタリはまる、ここぞというところでぜひ使って欲しい見出し書体ですね。

3.「月下香」なシチュエーション

続いてのモックアップでは、あるテーマに合わせたワードチョイスに加え、組み方やイラストなどの文字以外の要素との組み合わせで書体の世界観を表現しています。月下香のモックアップにこのシチュエーションを選んだ理由や意識した文字の組み方について、ポイントを一つずつ見ていきましょう!

テーマは “謎解きイベントのポスター”

ミステリアスな雰囲気は月下香の一番の得意分野であり、この書体の使ってほしいイメージであることから、「謎解きイベント」をモックアップのテーマに採用しました。
街中で見かける謎解きイベントのポスターはどれもデザインが凝っており、ひと癖ある月下香もそんな場面でしっかりアイキャッチとして活躍しそうです! このようなタイトルロゴは0から作字するという方も多いと思いますが、フォントに多様なデザインが用意されていることで多くの案件を抱えるデザイナーさんがより効率的に素敵なデザインにまとめあげることにつながったら嬉しいです。

タイトルで大きく見せた「氷」

タイトルでは、有機的に伸びるはらいが今にも動き出しそうな「氷」を大きく見せています。モリサワの書体の中でもここまで挑戦的に意匠性を取り入れた書体はかなり珍しいので、見出しサイズでしっかり特徴が伝わる文字列を考えました。「果てしない」の傾いた組み方も、モックアップを制作していただくデザイナーさんにイメージをお伝えして、動きのある感じで組んでいただきました。

小サイズでも個性をしっかり主張

タイトルロゴの他にも、いろんな文字のバリエーションを見せるために、ポスターに掲載されていそうな開催日や短めのコピーを入れています。大小の強弱をつけて漢字・かな・英数字を満遍なく使ってもらいました。
デザイナーさんからは、「デザインの癖が強い書体なので、1~2行のコピーなど小級数で使用してもしっかりおどろおどろしい雰囲気が出て使いやすい!」と、意外にも小さいサイズでの使用感も好評でした。

エレガントなイメージを表現するモチーフ

“ミステリアス” をメインのイメージに置きつつ、「女王」や「迷宮」といった “エレガントさ” を感じられるワードを合わせています。文字以外の要素としても、リボンや繊細なデザインの縁取りなど、上品でエレガントなモチーフを取り入れてもらいました。

装飾として文字を使用

タイトルを囲む左右の「NAZOTOKI」は、月下香の書体自体の装飾性の高さから、文字を飾りとして使っていただいたそうです。
書体見本では文字の形がわかりやすいように打ち出した形のまま使ってもらっていますが、蔦のようなエレメントを伸ばすなどいろんな加工を施して制作物上で書体の世界観をさらに引き出してもらうのも楽しみです!

このようにして、架空の謎解きイベントのポスターをテーマにした月下香のモックアップが完成しました! 組み見本の言葉のイメージに加えて、相性のいいモチーフや組み方も各書体モックアップを通して感じていただける構成になっていますので、ぜひそんな気持ちで他の書体のものもご覧になってみてください。

おわりに

書体自体の開発はもちろんのこと、みなさまに書体をご紹介するための “書体見本” にもこだわりが詰まっています。これらの見本が少しでも制作のヒントになっていたら嬉しいです。

もちろん、ユーザーのみなさんにはここで使用されているイメージに捉われず、ぜひいろんなワードにあててみていただきたいです! 今回ご紹介した通り、モリサワから発信する見本では開発コンセプトに沿ったワードで組んでいますが、使用想定を超えてその書体にぴったりな場面で使っていただいているのを見て、書体の新しい魅力を発見できることはフォントメーカーとしてこの上ない喜びです。

新書体特設サイトでは、月下香の他にも全18ファミリー分の書体見本を掲載しています。お気に入りの書体やモックアップがあったらコメントで教えてください。SNSなどでのみなさんからの反応もPR担当が喜びます……!

最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ「スキ」や「シェア」をお願いいたします!(担当:H)