スポーツデザインから学ぶ 〜ファンを喜ばせるデザインの仕掛け〜
Font College Open Campus(以降:FCOC)は、より多くの方にフォントを身近に感じていただけるよう、多種多様なジャンルのゲストをお招きし、デザインやブランディングをテーマにお話しいただくオンラインイベントです。
2023年4月7日(金)のゲストは、日本で唯一のスポーツ専門デザイナーである大岩 Larry 正志 氏(以降:Larryさん)。「スポーツのチームブランディングに貢献するデザインとは」「ユニフォームのデザインは何が求められているか」など、プロスポーツを支えるデザインの役割について、視聴者の皆さんと一緒に考えていきました。
第1部「スポーツデザインから学ぶ ファンを喜ばせるデザインの仕掛け」
Larry さんは、デザインオフィスONE MAN SHOWの代表であり、日本で唯一のスポーツ専門デザイナーとして活動しています。これまでに、東北楽天ゴールデンイーグルス(以下:楽天イーグルス)や東京ヤクルトスワローズといったプロ野球5球団をはじめ、Jリーグ・モンテディオ山形、Bリーグ・滋賀レイクスなど、数々のスポーツチームのユニフォームやロゴ、ビジュアルのデザインを手がけてきました。
その他、「キングオブコント」(TBS系)や「イナズマロックフェス」のロゴやキービジュアルも手がけるなど、エンターテインメントの分野でも数多くの実績を残しています。
この日のFCOCでは、Larry さんがこれまでに手がけてきたユニフォームの一部が展示されました。最初に手がけた2008年の西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の交流戦ユニフォームや、楽天イーグルスが2013年に日本一に輝いた際に採用された「東北グリーン」と呼ばれるグリーンのユニフォーム、2016年に手がけた東京ヤクルトスワローズのホーム・ビジターユニフォームは今も着用されており、いずれもファンの間で人気の高かったデザインです。
トークテーマ1「スポーツデザインとは?」
Larryさんは幼い頃から大の野球好き。選手の記録や球団の成績などを14歳の頃から毎日記憶し続けていることや、野球知識検定の6級〜4級を合格するなど、その熱狂ぶりが伺えます。野球を愛する一方で、小さい頃から描いていた夢は漫画家になることだったそうで、野球とものづくりという、ふたつの“好き”が合致して、現在のキャリアへと繋がっています。
「90年代以降、日本人選手がメジャーリーグに進んで行くようになり、海外チームのユニフォームやデザインを目にする機会が増えました。そこで、日本では野球が日常のデザインに取り込まれていないと気づいたんです。アメリカは、メジャー・マイナーを合わせると日本とは比べ物にならない数の球団があって、スポーツ専門のデザイン事務所も当時から数多くあった。そうした背景を知り、絶対にいつか野球のデザインに携わりたいと思うようになりました」
武蔵野美術大学を卒業後フリーランスになったLarryさんは、自分でデザインした野球ユニフォームの個展を開き、周囲に「野球のユニフォームのデザインをしたい」と言い続けながらも、どうすれば野球に関われるかわからないまま葛藤する日々を過ごしてきました。
そんな時、知り合いの美容師さんから入った一本の連絡が、人生を大きく変えるきっかけに。それは、「西武ライオンズの職員として転職する人が、イベントで使う特別ユニフォームの企画を考えていて、デザインしている人を探している」というものでした。これが、Larryさんにとって記念すべき最初のユニフォームデザインです。そのデザインが評判となり、その後続々と他の球団からもオファーが舞い込むようになりました。
その活躍は次第に野球だけでなく、サッカーやバスケットボールといった他のプロスポーツへ。「何年も模索してきたことがたった1日で形になったことがあまりに衝撃的だった」と当時の興奮を振り返ります。
ここで、視聴者の皆さんからの質問に答えつつ、Larryさんの日々の仕事について深掘りしていきましょう。
ユニフォームデザインは、グラフィック部分のみですか?素材や形状もデザインされているのでしょうか?
ロゴやチームロゴタイプを考える際に「平面的」な見え方、選手が着用している時の「立体的」な見え方どちらを意識されていますか?また提案時はモックなどのサンプルを用意するのですか?
― 素材などはデザインしません。素材はメーカーさんで、形状は選手個人の好きな形があるそうなので、それに合わせて、ということになります。僕はあくまで、胸ロゴや番号・名前の書体など(グラフィック部分の)デザインですね。スポーツデザイナーがいなかった当時は、ファッションデザイナーの方がデザインをすることはありました。
ファッションデザイナーが考えることは、裾や袖などパーツを「立体的」に捉えること。また、ユニフォームの形状は選手それぞれがメーカーさんと相談して決めていくので、選手によって異なります。そういう意味ではスポーツデザインとして僕が考えるのは「平面的」ということになります。
プロの球団の方からのお仕事も多いかと思いますが、個人のお仕事を受けることもありますか?また、野球以外のスポーツチームからのオファーも多いですか?
― 個人的なチームデザインのお仕事を受けることはほとんどないです。ありがたいことに、どこかのチームのお仕事をきっかけに次のオファーをいただくことは多く、野球以外のスポーツのお話もいろいろといただいています。僕自身も小学生時代はラグビー、高校と大学ではサッカーをやってきて、その都度それぞれのユニフォームが気になってずっとチェックしていたので、その経験も活かしながら、あらゆるオファーに対応しています。お仕事が広がっていくのは嬉しいですね。
プロ野球のユニフォームはプリントが主流になってきていますが、デザインに与えた影響は大きいですか?
― 「新たな文明を築くのではなく、これまでの文化を紡ぐ」というのが僕の考え方なんです。元々、野球のユニフォームは刺繍でしたよね。今主流の昇華プリントはいろんな表現を可能にするとは思いますが、アナログでもできるような仕事がしたいというか、昔の仕事を大切にしています。
例えば、胸ロゴなどの場合、プリントでは自由なので何色も重なってるような表現は当然できますが、刺繍の頃は糸を重ねすぎると重くなるので2〜3色までしか取り入れられないんです。だから自分のデザインでは、今でも2〜3色まででデザインする、総柄にはしない、といった独自のルールを設定しています。
ファッションなど流行り廃りがありますが、スポーツデザインにも色味や書体・ビジュアルなど流行があるのでしょうか?
― あります。形でいうと、今は前ボタンが主流ですが、プルオーバーが流行ったこともありました。また、70年代メジャーリーグでいうと原色が流行りました。アスレチックスというチームがトップスを緑、パンツを黄色にしたり、パイレーツが上下黄色にした時代があったんです。その後、だんだんシックな色合いが好まれたり、今はまた少しずつネオンカラーが流行ったり、移り変わりがあります。僕が手がけた東京ヤクルトスワローズの今年のユニフォームは上下黄緑で、驚かれる人もいるかもしれませんが、ファッションのようにサイクルがあると思って、先取りかもしれませんが意識的に取り入れているようにはします。
過去のデザインを参考にすることがとても多いように感じました
― 基本的に新しいものを取り入れることはしません。世の中の流れを読み取りつつ、過去のデザインを今やってみたらどうなるか、という考え方をします。
球団からデザインの制約などで気を付けるようになったことはありますか?
― オファーをいただく時に希望を伝えていただくことはもちろんありますが、基本的にはいろいろな球団を日頃からチェックしているので、そこまで驚くようなことはないです。
ただ、サッカーやバスケはスポンサーロゴが変更になったりすることが多いので、スポンサー企業の希望やロゴの形状などは気にします。むしろ、ロゴの形状を確認してからデザインを考えるようにしているので、制約とは捉えていません。
1番喜びや楽しさを感じる瞬間はなんですか?
― スタジアムや球場に行って、選手だけでなくファンの皆さん、何千人もの人が自分がデザインしたユニフォームを着ているのを目にする時です。そして何よりそのチームが勝った時ですね。
トークテーマ2「デザインによるチームのブランディングとは?」
Larryさんの仕事はロゴデザインやユニフォームだけに留まりません。近年では、Bリーグ・滋賀レイクスのチーム全体のブランディングも手掛け、アリーナ付近の案内表示、ポスターやSNSのグラフィックなど、チームにまつわるあらゆるデザインを担当されました。また、公式フォントとしてオリジナルで欧文フォントを制作され、和文フォントにはモリサワの「新ゴ」が採用されています。
このチームは、前年までの「滋賀レイクスターズ」という名称から変更し、全結成15周年という節目のリブランディングということで、全てのデザインが大幅に一新されました。これまで基調だったイエローは、“チャンピオン”をイメージするためにゴールドにすることでよりシックな印象に。また、書体を統一したことで、見た目の視認性もアップし、ポスターやSNSなどチーム公式の情報も整理されたといいます。詳細は下記滋賀レイクスの公式サイトをご覧ください。
ロゴやユニフォーム単体のデザインに比べて、ブランディングでは、情報を伝える文字の役割が大きくなってきます。Larryさんは、「少なくとも1年間は指定フォントと指定カラーのみで統一してもらうこと」を強く提案したそうです。
2つ目のトークテーマでも、ブランディングや実制作の環境などについて、さまざまな質問が寄せられました。
デザインはユニフォーム以外もしたりしますか?たとえば、球場やアリーナ内のデザインもひっくるめてブランディング等もされたりしているんでしょうか?
― 滋賀レイクスの場合は、アリーナ担当、チアリーディング担当などさまざまな部署の担当の方と対面し、ブランディングのコンセプトを直接説明させていただきました。僕ひとりが全てのデザインを担当したわけではないですが、ルール作りを徹底していったという感じです。
チームブランディングするにあたって地域性って影響するんですか?
― 僕はあると思っています。例えば、「関西だったらゴールドや派手な色が好まれる」とよく言われますが、そういうことはあるんじゃないでしょうか。僕は滋賀出身で、本当にたまたま滋賀レイクスからオファーを頂いたんですが、滋賀で生まれ育った人間にそもそも染みついたエッセンスを活かせたというか、地域性を理解している上で取り組めたことは大きかったです。逆に、あまり馴染みのない地域からオファーを頂いた時は、祭りやお酒の飲み方まで、その地域の県民性を聞くことからスタートすることもあります。
和文の新ゴは既存フォントですが、「SHIGA LAKES」などの英文は新たに作字しましたか?
― ユニフォームの英数字は全てオリジナルで作字します。僕は野球選手の背中姿がとても好きで、選手にとっては、背負っている名前と背番号が一番の見せ所だと思っています。ちなみに、結果報告などのテキストは既存の新ゴフォントを使用するようにしていて、デザインと情報伝達は区別しています。
すべてお一人で作業されますか?
― そうなんです。手を動かすことが大好きで(笑)好奇心がモチベーションの根底になっているんですが、「この色にしたらどうかな」「ここはどうしたら良くなるかな」と考えてたら気づけば何時間も経っていることもあります。基本的には全て一人でやりたくなってしまいますね。
球場(スタジアム)のデザインやブランディング等の現状や課題につきまして、何か見解を持たれているようでしたらご教示いただけますと幸いです。
― 例えば北海道日本ハムファイターズのスタジアムが新設されましたが、今は各球団がどんどんスタジアムを盛り上げていますよね。休みの日も訪れたくなる仕掛けを作ったり、チーム、スタジアムだけで完結するのではなく、その土地の地域性なども視野に入れ、より多くのことを考えながら取り組まれている印象です。
アメリカの話で言うと、マイナーリーグの球場をいくつか訪れたことがあるんですが、車でないと行けないような遠方でも2,000〜3,000人くらい集まっていて、子どもたちもアイスクリームを舐めながらとても楽しそうに過ごしていたんです。子どもを楽しませることに一生懸命力を注いでいるところが、日本にはまだない良さというか、幼い頃から球場に行くことが根付いている環境というのを目の当たりにしました。日本もだんだんとそういう流れになってきているかもしれませんね。
ある球団のクリエイティブに携わっています。ブランディングの観点からカラーやフォントを統一することは大いに意味があることは同意していますが、バリエーションの展開に産みの苦しみを覚えています。バリエーションを出すために取り組んでいることはありますか? また、同じ印象のものばかりで消費者として飽きはこないものでしょうか?
― 同じデザインでも色を変えるだけで印象はガラッと変えることはできますが、1番安直な手法のように感じていて、できるだけ色だけで解決するようなことは避けるようにしています。これまでにも一つのチームで数年かけてもバリエーションを手掛けるということはありましたが、楽天イーグルスのグリーンは3年採用したり、テーマカラーを頻繁に変えることはしませんでした。
じゃあいつが替え時か、と言われるとタイミングは難しいですが、少なくとも「1年で変えることはやめましょう」という提案をよくします。「もういいやろ!」と「そんなコロコロ変えるんかい!」の境目を見極めるというか……正解はわからないですが。
提案するバリエーションはどれくらい用意していくんですか?
― 毎年必ず新しいものだけを提示するよりも、過去にボツになったデザインも「今だったらいいんじゃないか?」というものがあったり、逆に「この流れだったら来年はこれですよ」と強く提案することもあります。流れがその時々によって違うので一概に言えないですが、数年後をイメージして大きく捉えることもありますね。デザインを変えていく頻度でいうと、スポーツは企業ブランディングと違って独特なペースがあると思います。
Larryさんの今日のキャップもご自身でデザインされたものですか?
― これは、ドジャースが現在のロサンゼルスへ移る前に、ブルックリンドジャースとしてニューヨークを本拠地としていた頃のデザインです。デザインの復刻は面白いですよね。古いもののはずなのに何故か古く見えないところがあって、野球に限らず、いろんなジャンルで復刻デザインをされている方は「このままでいいやん」と思うようなシーンもよくあるんじゃないでしょうか。若い世代に歴史を知ってもらうという点でも、いいことですよね。
ここで、Larryさんが手がけてきた過去の事例を振り返っていきました。初めて手がけた埼玉西武ライオンズの交流戦ユニフォームから直近の北海道日本ハムファイターズのメモリアルロゴ、ユニフォームまでそれぞれエピソードを交えて語っていただきました。
LarryさんのSNSでもさまざまな事例がご覧いただけますのでチェックしてみてください。
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これまでの事例を通してスポーツデザインの可能性が見えてきました。いよいよ最後のトークテーマに移ります。
トークテーマ3「スポーツデザインの第一人者としてのマインドは?」
スポーツデザインというものが日本に認知されていなかった当時、Larryさんは周りに笑われながらも「デザインでスポーツに携わりたい」と強く言い続け、その熱い想いを見事に叶えてきました。グラフィック、エディトリアル、フォントなど、様々な分野に専門のデザイナーが存在するように、スポーツデザインを一つの専門職として捉え、その地位を確立させています。
「昔は1つのユニフォームを見るために、雑誌のある1ページの、本当に小さな1枚の写真を食い入るように見つめていたことがあります。今はSNSやインターネットを活用すれば多くのデザインに触れることができるようになっているから、とても良いですよね。日々研究ができる環境にあると思います。まだまだ時間はかかるかもしれませんが、スポーツデザインというポジションが少しずつ認知され、専門性を高めていけることを願っています」
「とあるBリーグチームのデザインに携わっております。先ほどの地域性のお話に付随して、ファンの声は取り入れたり、活かしたりしていらっしゃいますか?」
― 実際にユニフォームを纏う選手たちでも一人ひとり好みや意見が異なることがありますし、ファンの人たちの、ユニフォームがお披露目された時の感想やチームに持っているイメージなど、いろいろな意見が耳に入ってくることはもちろんあります。全てを聞き入れていくとキリがないですが、頭のすみにとどめつつ参考にできることがあれば取り入れていく、という感じです。
「ファンの声といえば、スポーツデザイナーとしてのマインドを変えたきっかけがあったとか?」
― はい。この仕事を始めたばかりの頃は今よりももっとがむしゃらで、自分の考えを強く押し付けてしまうこともあったんですが、その意識が変わったのは2013年に楽天イーグルスが優勝した時ですね。
当時は、チャンピオンロゴやユニフォームなど、手掛けたデザインの反響も大きくて。そんなある時、球団関係者の方に、ある仙台のお寿司屋さんに連れて行ってもらったんです。そこはチームのグッズも飾られているようなお店で、球団の方が僕を紹介してくれたんですが、お店の⽅が驚きながら僕に「素敵なデザインをありがとうございます」と⾔ってくれたんです。球団の職員でもなく、選手でもない、初めてお会いするいちファンの方にお礼を言われるなんて、とても衝撃的で、その時に初めて「球団のロゴやユニフォームのデザインはファンのものでもあるんだ」と気付かされました。自分がしたいデザインではなく、ファンのみなさまが喜ぶためにつくるもの。スポーツデザインの公共性を感じた瞬間でしたね。
Larryさんは「好き」に全力で取り組む一方で、デザインやスポーツへの知識のアップデートを欠かしません。イベントの最後には、デザイナーとしてスポーツに向き合う姿勢を語ってくれました。
「僕のデザインしたユニフォームを着るのは、夢を叶えるために本当に血の滲むような努力をしてきたトップアスリートたち。プロのユニフォームをデザインさせていただく身として、自身もとことん熱量を持って、突き詰めていかないといけません。好きだけでプロ野球選手になれないように、こちらも“好き”だけではいけないと思います。日々の研究や努力を怠らず、これからも真摯に取り組んでいきたいです」
選手、チーム、ファン、そして地域全体が一丸となるための指針として、スポーツをデザインの力で盛り上げていくLarryさん。ユニフォームに込められた熱い思いは、今後も多くの選手の背中を押し、優勝へと導いていくことでしょう。
第2部 「文字ものがたり~フォントから読み解く書体の歴史~」
第2部のセッションでは、モリサワ社員にバトンタッチ。Larryさんのお話の中で出てきた「過去のデザインの復刻」というキーワードをヒントに、フォントの歴史にも触れながら「フォント名」の秘密について解説していきました。フォントにはそれぞれ名前がついていますが、ちょっと変わった名前が多いことにお気づきの方も多いのではないでしょうか。今日は、フォント名がどうやって名付けられているのか、その由来を辿っていきましょう。
たとえば「はるひ学園」というフォント。かわいらしい雰囲気を持った、手書き風のデザイン書体です。この「はるひ」は、このフォントの制作者である七種 泰史氏が書家として活動する際に用いる「春陽(しゅんよう)」という名前が由来となっています。
次に、「光朝」という明朝体のフォントがありますが、こちらは田中一光氏が書かれた文字が元となっています。力強い縦線と、極細の横線が特徴で、一光氏の「光」と、明朝体の「朝」を組み合わせて名付けられました。このように、制作者の名前がフォント名にあてられることがあります。
ここで、書体の歴史を簡単に振り返ってみましょう。そもそも書体とは、今では電子媒体やWebなど幅広いシーンで使われていますが、かつては印刷のために使用することがほとんどでした。書体の歴史とはいわば「何を使って印刷していたのか」を辿ることともいえます。
日本では、木に文字を彫って版画のように印刷する「木版印刷」が長く主流とされてきましたが、明治時代に入った頃、「活版印刷」が台頭するようになります。その頃に使われていたのが「活字」と呼ばれる、鉛でできた文字のスタンプのようなものでした。その後、写真植字機が開発されたことで、ガラスの文字盤に記された文字を写真技術で印刷する「写植」が急速に広まりました。こうした時代を経て、あらゆる文字はデジタルで表示されるようになり、文字もコンピューターへ搭載するための「フォント」へと形を変えていったのです。
フォント名を辿っていくと、そのフォントの歴史がわかることがあります。
モリサワの代表的な書体「リュウミン」を見てみましょう。
「ミン」は明朝体のミンを指しますが、「リュウ」は、活字の作成や鋳造を行なっていた「森川龍文堂」が元になっています。
金属を多く必要とする活版印刷業界は、戦時中に大きな打撃を受けました。そんな中、モリサワは活字の歴史を残すために森川龍文堂から活字の見本帳を託され、リュウミンはその見本帳の文字を元にして作られた書体です。リュウミンの特徴は、はらい・点などにみられる彫刻刀の「冴(さ)え」に見られ、当時の活字の作り方やその趣を感じさせます。
そんな森川龍文堂の活字が書体として復刻されたのは1980年代、そして1990年代にはデジタルフォントとして、活字の味わいをそのままに、現代に合わせたより読みやすい形でリリースされました。
続いての書体はA1書体です。この「A1」というワードは、写植時代の「太明朝体A1」を復刻したという意味です。太明朝体は1960年に発売されて以来、写植書体として長く愛されてきました。「A1明朝」はその骨格を踏襲しつつ、デジタルフォントとしてリデザインされたものです。モリサワでは写植時代に、明朝体にはA、ゴシック体にはBという接頭辞をつけて分類していましたが、その名残は、現在も「太ミンA101」や「ゴシックMB101」などといった名前にも見られます。
モリサワのフォントに詳しい方ならお気づきかもしれませんが、「A1ゴシック」というフォントがあります。「ゴシックなのにA?」と不思議に思われるかもしれませんが、A1ゴシックは、A1明朝の骨格とコンセプトを受け継ぎ、新たなゴシック体として開発されたフォントで、ゴシック体でありながら「A」を冠した、珍しいフォントなのです。
そんなA1明朝とA1ゴシックには共通する特徴があります。それは、「墨だまり」です。
線が交差する角に施された、アウトラインが溶けて滲んだような独特のデザインです。この墨だまりは、“写植の時代を復刻している”というコンセプトが大きく影響しているのですが、これは写植機で文字盤の文字を光で焼き付けた際に出てくる文字のにじみをあえてそのまま残したもの。「太明朝体A1」にはそもそも墨だまりが施されていたわけではありませんが、A1明朝、A1ゴシックではあえてデザインとして取り入れています。クリアに印刷できる時代になったからこそ、こうした“完成し尽くされていない揺らぎ”が、その文字の味となって愛されているのでしょう。
続いて紹介するのは秀英体です。
「秀英初号明朝」や「秀英にじみ四号」にある「初号」「四号」とは何を指す言葉かご存知ですか?実はこの号数は、活字のサイズを表しています。
昔は印刷のサイズに合わせて、必要な大きさの活字が用意され、それぞれの文字が各号数分作られていました。当時日本の公文書で使われていたような一般的な本文サイズは5号であり、これはポイントにすると10.5ptに換算されます。
ちなみに、Wordで新規の文書を作成するとデフォルトで10.5ptが設定されていると思いますが、それは活字の本文サイズが元になっているとも言われています。活字の文字サイズはこのように倍数で表せる関係になっています。各サイズごとに整合性があり、活字を組むにあたっては非常に利用しやすい仕組みでした。
つまり、「秀英初号明朝」や「秀英にじみ四号」という書体は、各号数で用いられていた活字の形を元に復刻された文字ということになります。
これら秀英体シリーズは大日本印刷が独自に開発したオリジナル書体であり、大日本印刷の前身である秀英社が明治時代に製造していた活字のデザインを踏襲しています。こうした歴史ある秀英体を新時代につないでいくために、2005年に「平成の大改刻」プロジェクトがスタート。7年の時を経て、10書体12万字ものリニューアルが成し遂げられました。
新しい利用環境に対応するために様々なリニューアルが進められた一方で、過去の秀英体に見られるインクのにじみを再現した「秀英にじみ」シリーズなど、当時の風合いを残したあたたかみのあるフォントも制作されました。
もっと詳しく知りたい方は、noteにも記事を掲載していますのでご覧ください。
最後にご紹介するのは、現在モリサワで改刻中の「石井書体」です。石井書体とは、写研の創業者である石井茂吉氏が手がけた書体で、2024年リリースに向けて、モリサワ、写研、字游工房の3社で共同で進められているプロジェクトです。
改刻の具体的な内容はnoteやセッション動画に掲載されていますので、どうぞご覧ください。詳細はリリースが近づき次第ご紹介いたします。
歴史を受け継ぎ後世に繋いでいく「温故知新」の思想は、スポーツデザインもフォントデザインも変わりません。モリサワも、今後もより良いフォントを生み出していくために、先人たちの知恵やアイデアに敬意をもちながら取り組んでいくことがが必要だと感じました。
Font Collegeはこれからも不定期に開催し、noteでレポートを掲載していきます。今後の掲載もどうぞお楽しみに!