原作と翻訳絵本を比べたら書体がローカライズされていた話
書体を意識して見るのは慣れていないと難しい。特に普段使わない言語ならなおのこと。みなさんは欧文書体を意識して見たことはありますか?
店の看板、メニュー、電光掲示板、雑誌……和文書体のすぐそばに欧文書体はいます。
もしかして欧文書体にフォーカスしたら書体にまつわる面白いことが見つかるのではないか……?そんな思いつきがこの記事のきっかけになりました。
日本語に翻訳されると書体も変化する不思議
欧文書体を意識するには、まずは見慣れた和文書体と比較するときっとわかりやすいはず。そう思って翻訳絵本に目をつけました。
翻訳絵本とは、オリジナルが海外にある絵本を日本語に翻訳して出版された書籍のことです。
調査すると嬉しいことに書体にまつわる面白い発見がありました。
海外の絵本の本文ではセリフ体(Serif)が多く使われ、日本語版では様々な書体に変化することがわかりました。セリフ体は和文書体でいう明朝体のことですが、なぜそのまま同じ系統の書体が選ばれなかったのでしょうか。
海外と同じ書体の雰囲気に合わせていないことがとても不思議でした。
これはきっと何か理由があるのかもしれない。
現場の声を聞くべく、実際に翻訳絵本を編集している徳間書店さんとデザイナーさんにインタビューしました。
たくさん絵本を紹介していただきながら、書体の選び方や実際に海外の作者とのやり取りの中で受けた文字に関わるカルチャーショックについて、たっぷり伺いました。
翻訳絵本ならではの書体の選び方
ー 今日は翻訳絵本の書体についてたくさんお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします!
田代・百足屋 よろしくお願いします。
ー まず翻訳絵本の制作フローを教えていただけますか?
田代 原作が海外の絵本は、日本語訳→組版→入稿→修正→校了というフローで制作します。
組版は訳がある程度かたまってからフォントを選定し、絵と合わせます。だいたい校了直前まで文章に手を入れることが多いです。
ー フォント選びは田代さんのような編集者さんが担当しているのですか?
田代 徳間書店では、基本的には編集者が絵本の本文を組むので、自分で本文用のフォントを選びます。私の場合大体使うフォントは決まっています。明朝はリュウミン、ゴシックだと中ゴシックBBB、ゴシックMB101、新ゴあたりから選んでいます。
中にはフォントが好きな編集者もいて、よくモリサワのフォントラインナップと睨めっこしてますよ。
ただ絵本は、近年、国際共同印刷(コプロダクション)といって、海外で印刷製本することも増えています。その場合はデザイナーさんに本文データを作ってもらうため、フォント選びも一緒に行うことが多いです。
ー ではこちらの絵本は?
田代 『ウサギのすあなにいるのはだあれ?』は海外で印刷と製本をしています。なので中も全部デザイナーさんに組んでもらっています。
書体は原作の世界観と登場人物の声で決まる
ー この絵本は原作と日本語訳の書体の使われ方が異なりますよね。明朝体にあたるセリフ体が原作に使われているのに、日本語版では丸ゴシック体が使われています。この書体選びの背景や理由はありますか?
田代 担当してくださったデザイナーさんに聞いたところ、初めは明朝体2種類と丸ゴシック体1種類で見本を組んだそうです。この絵本はユーモアのあるお話ですが、絵はそんなにコミカルな雰囲気ではありません。そのため明朝体で組んでしまうと、絵本そのものがシリアスな印象になり過ぎてしまうため、最終的に丸ゴシック(丸ツデイ)に決まったと聞きました。
書体の選び方として、日本語の場合は最初に明朝体とゴシック体どちらをメインにするか決めます。その判断材料がストーリーとイラストです。
例えばこの絵本は明るい話だから、緊張感を与えないゴシック体や丸ゴシック体にしよう、とか......。一方で同じ明るい話だけど、絵のタッチが繊細で明朝体とマッチするから、明朝体にしようと考えたり…...。この方向性が決まった段階でフォントを選びます。
原作がセリフ体だったからといって明朝体を選ぶのがセオリーというわけではなく、その作品の世界観を大切にしながら書体を選んでいます。
ー 田代さん自身が携わった絵本について、どのような書体選びをしたのか教えていただけますか?
田代 私が編集した絵本で紹介したいのはスウェーデンで1924年に出版された絵本『ロサリンドとこじか』です。徳間書店では、日本語版を2021年に出版しました。
田代 この絵本は物語が入れ子構造になっていて、冒頭がおじいちゃんと女の子の会話、本編が2人の作ったお話になっています。これも本文にセリフ体が使われているのですが、全てイタリック※になっています。
ー ほんとに全部イタリックですね!
田代 イタリックはどうしようかなあ.…..とちょっと悩みました。もともとイタリックというのは日本語にはない手法です。技術的には可能ですが、子どもの本で斜体を使うのはふさわしくないと考え、ひとまずお話がクラシックなことから本編はリュウミンにしようと決めました。
そして、入れ子になっている物語の冒頭部分、おじいちゃんと女の子の会話のシーンは、本編と違うフォントにしてストーリーがちがうことを伝えたいと思い、教科書体にしました。ゴシック体も検討したのですが、優雅な雰囲気のこの本がいきなりゴシック体で始まるのはしっくりこなくて。また、この絵本の中にある王様のおふれに使ったフォントとも重ならない書体にしました。
ー 明朝体は本編、教科書体は女の子とおじいちゃんの会話、ゴシック体は王さまのおふれ。書体選びは物語が変わるタイミングや登場人物の声を意識しているということですね。とても興味深いです。
海外の作者とのやり取りで気づいた書体にまつわるカルチャーショック
田代 これまでの話は普段の編集事情の話でしたが、ちょっとイレギュラーなケースもありまして。百足屋さんにも全面的に協力いただいたこちらの絵本、『マップス』と『国立公園へ行こう!』です。
百足屋 作者はポーランド人の夫婦、アレクサンドラ・ミジェリンスカさんとダニエル・ミジェリンスキさんで、お二人は一緒に書籍制作をしています。特に、夫のダニエルさんが日本の漫画やアニメや映画が好きで、その影響を受けて絵本を作っています。私はこれまでに6冊携わりました。
ー この2冊は普段の編集作業とどんなところが違ったのでしょうか?
田代 この作品も国際共同印刷で、ポーランドでまとめて印刷されました。1か所でいくつかの言語の版を一緒に印刷をするので、単独で印刷するよりも、部数がトータルで大きくなり、単価が抑えられるロジックです。共同で印刷するために〆切には遅れることができないのでプレッシャーを感じました。
さらにもう1つ他の作品と異なる点は、各国の翻訳版の組版データを作者自身が全て管理していたことです。
百足屋 ミジェリンスキ夫妻はタイプデザイナーでもあるので、文字にこだわりがあったからという背景もありますね。
田代 そうなんです。特に『マップス』は30言語以上に訳され、全ての言語について作者が組版のチェックをしています。まずフォントの選定、そして全ページ組んだら組版の仕上がりをチェック。
日本語版の場合はアルファベットの文字ではないので、フォント選びから行い、監修を受けるのです。
ー フォントにも作者のチェックが入るというわけですね!
百足屋 そういうことです。2冊とも原作に使われている欧文フォントは作者が作字した手書き風のデザインでした。例えば同じフォントでも、「A」という文字を何種類か作っていて、違うデザインの「A」がたぶんランダムに出るようになっています。
ー 『国立公園へ行こう!』ではどんなことが大変でしたか?
田代 書体選びという話からは外れてしまうかもしれませんが、日本語の組版をどうやって理解してもらうかが大変でした。
この作品は多くのページがコマわりになっていて、長めの説明もすでに固定されたテキストボックスの中に入っていました。
でも、翻訳すると、原文と同じ長さになるとはかぎらないんです。ときには、空白ができてしまうこともあるのですが、作者たちは、テキストボックスの最後に空いた行ができてしまうことをとても気にしていて、「たくさん改行していいから、ボックスの下まで埋めて」と言われました。
日本語の組版では長文は「1行何文字」と決めて、ボックス型に組むことが多いですよね。でも、この本では文節で改行することとし、早めの改行で行を増やすことでなんとか空いた行を作らないようにしました。
田代 それでも作者に枠の空白について指摘を受け、文章を変えることも一時は検討しました。
ただよく考えると、作者が気にしているのは “枠の余白”。つまり見た目の話です。この書籍を誰が読むのかを考えたとき、デザインで文字を見ている人ではなく日本語話者だと気づき、最終的に日本人に読みやすい文字組みを優先したいことを伝え、了承いただきました。
デザインとして見ることより、言語を理解して読むことの方が大切だということをはっきり伝えなければならないという気持ちでした。
百足屋 本当にここは頑張りましょうという気持ちで田代さんも伝えていましたよね。
デザインする側からの感想としては、原作のテキストボックスの枠は動かせないこともあり、制限のある中で、日本語組版として違和感が出ないようにすることに、本当に苦労しました。
なによりも言葉を実際に読む人を意識した組版ルールに則ることが重要だと私も思います。日本語と外国語では文字数も違えば、ふりがなの有無もあります。全く同じような見た目にすることはできなくて当然だと思います。
ー では『マップス』の編集作業はどんなことに苦労しました?
田代 こちらも色々大変でしたね。そう思うのはこの作品がダニエルさんと初めてやりとりした絵本だったからかもしれません。
なかでも苦労したのは、見出しとキャプションのフォント選びです。
原作の見出しには作者が手がけた手書き風のセリフ体、キャプションには手書き風のスクリプト体(筆記体)が使われています。
見出し用とキャプション用でそれぞれ合いそうなフォントを何種類か提案しましたが、2つのフォントの間で強弱が欲しいなどという指摘があり、決まるまでに何度もやり取りがありました。
百足屋 また日本では何ヶ所かで組版作業を分担していたこともあり、全ての会社が持っているフォントにしないといけなくて。その中でも絵本の世界観や雰囲気を崩さない、さらに、年月が過ぎても古く見えないフォントを選ぶのが大変でした。
それで……作者から「勘亭流とか使ったら?」っていう話もあって(笑)。
「日本らしさを出せばいいじゃない」ということも言われたんですけど、日本では本の中では勘亭流は使わないんですよとお伝えしました。
ー 勘亭流の提案があったとは(笑)アイディアとしてはすごく面白いですが同じ手書きでも作者の手書きとは印象がかなり変わりますよね。
ところで見出しのフォントには「解ミン 宙」を採用いただいたかと思います。厳しいフォント選びをくぐり抜けこの書体が選ばれた理由は何ですか?
田代 見出しについては完全に手書きではないけど、明朝体でもなくゴシック体でもない、ちょっと筆の風合いを持つ書体が欲しかったんです。でも癖があると読みにくくなるので、カリグラフィーの揺らぎと手書き感のある、明朝体すぎないものということで「解ミン 宙」を選びました。
他にも、子供が理解しやすいよう、なるべくかなのデザインがわかりやすい書体という理由もありました。例えばひらがなの「そ」とかですね。
百足屋 この本に取り組んでいるときに、必ず長く読まれる絵本になるだろうと思っていました。なので古くなる書体ではいけないと思ったんです。
日本語だと手書きフォントには流行りがあるので、原作にならって手書き風書体にすることは避けるようにしました。
伝統的で、きちんと読める。どの時代でも見やすい文字ということを念頭に置いて、永く親しみを持ってもらえるようなフォントを選びました。
ー 他にも大変だったエピソードはありますか?
百足屋 ふりがなですね!
田代 作者はふりがなの小ささに驚いていました。
『マップス』は、文字を4色で作っています。だからふりがなを見て小さすぎて版ズレ※しないのかという心配が作者にはあったのだと思います。あとは、「こんな小さい字で本当にいいのか?子どもも読むのに.…..」とも言われました。
でも日本人の感覚からすると、ふりがなは必要な時に見る程度だと思います。なので編集部としてはそこまで心配しておらず、そのことを伝えたところ最終的に作者にも理解していただけました。
ー 私たちにとっては馴染みのあるふりがなですが、ノンネイティブからすると不思議ですよね。
田代 ふふ、実は作者は大学生の頃に日本語を勉強していて、少し読み書きできるとか。ちなみに各ページの国名など大見出しはダニエルさん本人が文字を作ったんですよ。
ー すごいですね!手書きで書いてくださるところに作者の日本語への愛を感じます。最後に、今回の取材で当時の編集作業を振り返ってみていかがでしたか?
田代 『マップス』や『国立公園へ行こう!』の編集業務の時はフォント選びだけでなく、フォントに付随する問題が多かったなと改めて思います。国際的に仕事をする上で、言語によって組版の常識が大きく違うことを実感しました。普段日本語を使っている身だと気にしないところに指摘が入ることは驚きでしたが、そのたびになるほど、と思わされました。
百足屋 作者の意向に沿いつつ、さらにこちらの文化も理解してもらいつつ正しい文字組版できちんと読める本に仕上げるのは改めて大変な作業だったなと思います。『マップス』に至っては一見開きにデザイナー1人で6時間かかってしまったほどです(笑)。でもこの経験のおかげで色々な編集作業が見え、ミジェリンスキ夫妻との5つめのお仕事だった『国立公園へ行こう!』の時にも役立ちました。
ー 今日のインタビューでは書体選びから文字にまつわる文化の違いまで再発見できてとても学びになりました。
田代さん、百足屋さん、貴重なお話をありがとうございました!
あとがき
翻訳絵本はイラストやストーリーの雰囲気、場面転換や登場人物の声、そしてなにより誰が読む本なのかを意識した上でさまざまな書体が選ばれていることがわかりました。読み手が慣れ親しむ言語に寄り添いたいという田代さんと百足屋さんの想いに感銘を受けました。
今回は翻訳絵本で和文と欧文を比較しながら、和文書体の魅力を再発見しました。そうなると、欧文書体も知りたいですよね?
次は海外における書体の使われ方について、ネイティブの目線から迫っていこうと思います。まさに未知の領域ですね。
自分達の国の書体の使われ方を知ってから外の世界のことを知ることで、もっと書体への理解が深まると思います。次回も乞うご期待ください!
この記事が面白かった、または続きが気になる、という方からのたくさんのスキをお待ちしております。それではまた!(担当:A)